2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2014年12月29日月曜日

2014年活動報告 7月~12月

COME GATHER ‘ROUND PEOPLE WHEREVER YOU ROAM.

7月20日(日)
西荻窪/のみ亭「夏のYOU GOTTA作戦」
●夏の夕方の大三角!●
桜がまだ蕾状態の3月、竹廣類ちゃんとのみ亭ライブをやったきり、4ヶ月も演奏をサボってしまった。
これじゃイカン! というワケで久しぶりのライブは、中身の濃い企画を立てた。エミリア・種ちゃん・貴ぽんの三名をゲストに迎え、クセ球変化球から直球勝負まで、変幻自在のワンツーパンチ。
抑えの切り札三本柱だ。
三者三様で持ち味を十分出し、あれやこれやの期待にも応え、大騒ぎのライブでした。
んなワケで、「こうしちゃいられない夏の夕方SHOW!」をゲストの三名に!!!

8月30日(土)
西荻窪/のみ亭「トリオスチャラカライン作戦」
●男前なのだ!●
類ちゃんのボタンアコーディオンから飛び出す音は、しなやかな直球で、ど真ん中にズドンとくる。
が、アコーを持たない時の類ちゃんは、大ボケ小ボケの連射魔で、その落差がスゴイ。
でもって、竹廣・・・ではなく、竹割りのような性格でサバサバッとしてて、男前のねーちゃんなのだ。
弾いても、ボケても、どの面(めん)もステキなんだなぁ。
3オヤジは全員、類ちゃんがダイスキなので、3人だけのヒミツの類ちゃんファンクラブを作った。トリオ・ザ・RFCだ!
誰にも言うなよ!
5ケ月ぶりの「すちゃらか+類ちゃんライブ」は、一週間前のリハから楽しいまま突入し、楽しすぎるまま終了した。
俺たちの「こういうふうにやりたいんだ!」という注文に、涼しい顔で要望以上のものを返してくれる類ちゃん。
頼りになるゼ!
では、俺たちを心底楽しませてくれる類ちゃんの面白すぎるセリフの一つひとつに
「ルイ冗談賞」を進呈するのでありまするぃ。

9月6日(土)7日(日)
長野県原村/奏での森くらふと「山のあなたの空遠く作戦」
●ヤッホー! なるほー!●
るーずぱんてぃ/朋音ちゃんからお誘いをいただき、初秋の長野・山梨へ演奏デビューに行ってきた。やっちゃんが都合悪く、不参加なので「淳」「宇」「類」の八ヶ岳山麓特別編成だ。
心配された雨もうまいことカワシ、「朋」のドラムもいいカンジで加わり、5曲スイスイと演奏、おいしい空気と拍手をたっぷりいただいた。
夜は宿舎で、演奏者&スタッフと楽しい宴会。るーぱんおっちゃん朋音ちゃん、せんえつけんちゃんやジミヘンねぇさん、もちろんうーちゃん類ちゃんも!
みんなで酒とツマミとバカを持ち寄って、宴はホンダラホダラカ濃さを増していった。
翌日は、隣町のS原クマさん宅へおじゃまして、おいしいご馳走をこれまたたっぷりいただき、それじゃお返しの演奏会ってことになった。ご近所の方もお越しになり、昼下がりのすちゃらかだ。
名刺代わりの3曲を演奏し、いずれ改めての再訪再演を約束。山梨の収穫も大きかったのである。
つーコトで、類ちゃん御用達お出かけアイテムのウクレレに「レレレのレ~賞」決定!
これでいいのだ!

11月24日(月)
阿佐ヶ谷/あるぽらん「アルポランなのであるぽらん作戦」
●類は朋を呼ぶ●
少々早いが、この日が「すちゃらかしゃいにんぐ」年内最後のライブとなった。
地元、そして「あるぽらん」の古くからの馴染客である、うーちゃんルートのお客さん。
さらに、のみ亭常連客からも多数の来場があり、店内は満員状態となった。
開始時間をちょいと遅れてスタートし、前半6曲+1曲、後半6曲はあっという間に終わった。
熱いアンコールもいただき、おまけの1曲は「サイフはカラッポ」だ。気分いいまま、エンディングもバッチリ。大きな拍手と歓声の中で終了となった。
「あるぽらん」に感謝を伝え、最後は5人で「Salud~!」をキメ、めでたしめでたしの2014年。
今年一年、めぐり会えた人、かかわった人、お世話になった人に熱い愛を込めて
Muchas Gracias!

12月31日(水)
西荻窪/のみ亭「本所製パンでつかまえて作戦」
●62群だぜ!●
本所高校生時代、3年の文化祭の時、うーちゃんと二人で歌ったことがある。デュオだ。
岡林とジャックスの唄を5曲くらいだった。
「またやってみる?」
「ん? やっちゃう!?」
ということになり、毎年恒例の大晦日「のみ亭年越し会」で歌う予定である。
多分やっている事であろう。
バンド名は「1年E組」。
44年ぶりなのだ。
結果は?
ん~・・・、まぁ相変わらずのはずだ。
変化はあるが進歩はない、すちゃらかしゃいにんぐ。
まな板の上の、「1年E組」なのだ。


第4回開閉展 
ライトショー=早退性理論による
3惑星大接近/アビンシュタイン


第4回開閉展
塩胡賞=クマのパン/ほーほちゃん


第4回開閉展
ライブSHOW=あるぽらんライブ
/マスター佐々木さん


《営業2課 じゅんぼう》

2014年12月26日金曜日

そもそもの話

小学6年生の冬だったと思う。
ん~・・・、1964年だ。
M野さんちが引っ越した。ってのを聞いた。
「探検に行こうゼ!」
俺は手下2~3名を連れて、M野さんちへ向かった。

M野さんちは町工場を経営してて、ちょっと前に閉鎖したことは知っていた。工場は大きくはないけど、ちっぽけでもなかった。
M野家の住居は、七人家族の二階家で、俺の家の一つ違いの路地にあった。
俺の歳より上に女一人男二人、下に女一人男一人の5人兄弟だった。
一つ年上のヒロちゃんとは、よく遊んでいろんなことを教えてもらった。
その当時の引っ越しは、今ほど家具も電化製品も多くなかったので、手間も時間かからず済んでいたのだった。
俺たちは硝子戸の玄関を開け、主の居なくなった家の中に入っていった。薄明りの中で部屋はガランとしていた。ここで、夏休みにみんなで宿題をやり、ふざけあったり、テレビで相撲を見たりしたのだった。
「いなくなっちゃったんだ・・・」
もう会えないというサミシサで、急に胸がせつなくなった。
何故だか、転校生というモヤモヤしたものに結びついてしまった。
階段を手さぐりで上がり、二階に入ってみた。二階は陽が少し射し込み明るい。
開けたままの押入れにギターがあった。横にねかされていた。
ガットギターだ。その頃は、クラシックギターって呼ばれていた。今でもか?
忘れたのか? 置いて行ったのか?
俺は手にして、ボロ~ンと鳴らしてみた。
「弾けるの?」
みんなが興味深々で覗きこむ。
「弾けないよ~」
俺は答えて、ギターをじっくり眺めた。持って帰ることにした。

ちょいと遡って3年生くらいの時、学校から帰った俺は畳の上でぼけ~としてた。で、音楽の時間に習った唱歌のような唄を口ずさんでたら、隣の部屋でいっぷくしてたオヤジとおふくろ(俺んちはちっぽけな工場をやってたのだ。)が、「淳一は音痴だね~」と声を合わせた。
「そうか・・・、俺は音痴なのか~」
歌はヘタだと思っていた。でも、自分なりに気持ちよく歌っていたのだが、自分以外の耳ではそういう評価なのかと初めて俺の実力というか劣等性を知った。
それから人前では歌わないようにした。
なもんだから、音楽の成績はいつも2だった。5段階のネ。
本人のメーヨのために言うけど、あとは5と4だったんだからな。おい!
歌唱テストの時は、常に無言無唱でいたのだから当り前だ。
1でないだけありがたいと思え! はい! 
でも、唄自体は好きだった。
歌謡曲(流行歌って言い方もあったな。)からポップス。
三橋美智也から弘田三枝子。
ロッテ歌のアルバムからザ・ヒットパレードまで、流れてくる唄を覚えて頭に詰め込んでいた。
「平凡」や「明星」の付録の「今月のヒット曲全集」なんてのをめくっていくのもシアワセなひと時だった。
唄を覚えるのは、学校の勉強より好きだった。ん~・・・比較にならないか!

ギターなら音痴がバレナイ・・・。
俺はギターに俺の音痴人生すり替え作戦を託した。
最初は6本の弦の仕組みがわからなかった。1本の弦をつま弾いているだけだった。さすがにこれはすぐに飽きた。
周りに教えてくれる人はいない。俺だけではドーニモならない。
そこで、毎週毎月買っていたマンガを我慢して、ギターの本(教則本)を買った。
誰でもすぐに弾けるギター・・・なんとかかんとか、とかそんな本。
チューニングを覚えて、ドレミファソ・・・と音階がつながった。
そして誰でもやるように、チューリップや日の丸などの童謡をメロディー弾きをした。
歌謡曲も弾いてった。
ト―ゼン、禁じられた遊びもだ。
どんどん世界が広がっていった。


漫画少年でもあったのだ

1964年という時代は、ベンチャーズサウンドに火が付き、「エレキ」や「テケテケ」なんてな言葉が生まれた頃だ。
掃除の時間に、みんなでほうきを持って「♪乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン」をやってると、きまって女子たちに顰蹙を浴びせられた。
モンキーダンスも踊ったなぁ。手足カクカクさせて・・・。
翌年になると、「勝ち抜きエレキ合戦」が始まり、ハルカ年上のイイとこのおぼっちゃん大学生たちがブラウン管の向こうでドヤ顔をしまくっていた。
暮れに加山雄三「エレキの若大将」が大ブレイクし、グループサウンズバンド(?)が、一つまた一つと誕生していった。
そして66年には、ビートルズが来日する。
俺は中2になっていた。


小6の時、少年サンデーに
掲載されてた

中はこんなカンジ ①

世界三大だゼ ②

なるほーだゼ ③

ためになるゼ ④

コードというものを覚えた。
俺の弾く安物ギターから革命的な和音が飛び出した。
かき鳴らすとすぐそこまで・・・、あこがれのグループに近づけた。
俺は感激&感動したネ。
朝も夜中も弾いていた。
「うるせー!」って怒られるから、工場で弾くのさ。
俺の持っていた教則本には、ハイコードだけが記載されていたので、そのトーリに進んでいった。いや、ローコードも記載されていたのかもしれないが、フレットを移動させればいいハイコードで押さえた方が手っ取り早く覚えられるので、ハイコード方式を選択したのかもしれない。
なので、よく言われる「ギターやったけど挫折」のFやらB♭やらのバレーコードでつまづいた。っていうのはなかった。逆にローコードを知った時、な~んて楽なんだ。なんて思ってモノさ。
歌も少しずつ解禁してった。
一人でギター弾きながら、加山雄三の唄を歌っていると俺もハワイとかアルプスにいるみたいだった。
麻薬みたいに俺の頭をシビレさせていった

中学2年の時、お年玉でエレキギターを買った。
浅草へ行って質流れの店で、モズライトもどきの白と黒のずしんと重いヤツ。
値段は3,400円だった。
アンプを買うお金は残ってなかった。アンプラグドだった。
シールドもストラップもなかった。
でも、夜中に一人静けさの中、弾きつづけているとしみじみ至福を感じた。
そしてその後は、お年玉やバイトで貯めた金でギターを買い替えていった。

それから・・・、唄とギターとバンドと・・・、坂道を上ったり下ったりの人生になったってワケで、俺の今いる場所も、すちゃらかしゃいにんぐも、M野家の引っ越しから始まったっていう、そもそもの話さ。


《営業2課 じゅんぼう》

2014年12月21日日曜日

さらば!六本木

さらば!六本木なんて題にして、現場が六本木だった時の最後の大穴について書いておこうと思ったんだけど。六本木の現場は6月に終わっていて、次の田端の現場も先月に終わって、今は御茶ノ水に行っている。だから、今さらって言われるだろうと思うけど、やっぱり書いておこう。

六本木の現場については前にも書いたんだけど、最後の最後に大きな穴が残った。
最初は池の底に敷いてあった白い細かい砂をだしていて、Kさんが下に掘り始めたあたりが深そうなので、変わってほしいと先生に云われて、掘り始めた。表面をみると結構広いのでSさんと一緒に掘り始めた。南北にベルトを作った西側だった。掘り始めると結構土が湿っていて、瓦も多くて掘りにくい。陶器片も結構あり、貝も出てきた。途中でピンホールを刺すとどこを刺しても20センチ位で止まるのでそんな物かと掘り進んでみるとなかなか底が出ない。再度ピンホールを刺してみると、また20センチ位で止まる。途中に埋まっている瓦や石にあたって止まるみたいだ。汗だくになりながら掘っても掘っても底に行きつかない。Sさんが「あっ!骨だ」と、言ったので見に行くと動物の腰のあたりの骨が出ていた。先生からそのままのしておいてと言われ、一応ビニールをかけてそのままにして掘り進む。陶器片、貧乏徳利、銀箔のついた木片、赤や青の派手な色の付いた木片、土で作ったお釈迦様の人形、小魚の骨、漆塗りの椀の漆の部分のみ、昔のお金、銅細工物、そして当然瓦などなどあっという間に点箱が一杯になってしまう。

しばらく掘ると壁がスロ―プになってしたの所の土が崩れて奥へ穴が開いた。その奥は抉れていてまだ相当ありそうだった。そっちには手は付けず全体にさげてゆく。ベルト反対側の北の部分でOさんが掘り始めていた。幅を若干縮めて掘って行き、底が出たという。どう見てもこちらの穴と繋がっているはずなのに、もう底が出ると言うのはおかしい。こちらは全然先が見えない。さっきの壁の奥もあるし。

わたしらが掘っていたところを保留して、先にOさんが掘ったところの南側の半分を下げる事になった。最初はわしとSさんAさんIさんTくんとでやった。雨予報で休みになったときも、なんとかやりたいと連絡をもらい掘った。結局雨が本降りになった中で、足元がずぶずぶになりながら掘った。そこを最初に掘ったところと高さを合わせて、骨の出たところを写真に撮ったりした。南側の残りも雨でゆるくなったため、Kさんが掘り始めた。と、同時に東側の床と思えるところをキレイに出していったら、幅1メートルちょっとの廊下のようなものだった、手前はまだ下に掘って行ける。南半分の残りも掘り終えたので、全体に下げて行く事になった。4人で横になって掘りながら下がって行く、土は前に置いてある箕に入れる、もしくは箕を運ぶ人がじょれんで集めて箕に入れて運ぶ、段々下がって行き箕に入れた土を捨てるのにも手間がかかるようになり、床を出した廊下のようなところに一人立ち、その向こうの室だった穴に捨てる、そこも一杯になってきたので、そこにも一人入り、廊下から貰った土を奥に投げる。

そんなこんなでわあわあ言いながら、掘り進んでいくと、最初の頃のOさんが床だと言って出したところが、西に続いていて階段状に下がって行った。さらに掘ると西から南にカーブを描いている。すると先生がまいろまいろいどかんなあと言う、なんですかと訊くと、かたつむりのカラのようにぐるぐると回りながら掘っていく井戸の事だという。東京には無くて地方に結構あるらしい。階段の行きついたところが最初に掘った場所で壁のしたが抉れているところだった。ひと坪位あって奥の天井も結構な高さがあった。そこをほぼ掘り終わるころに、TさんとAさんがその先はと言ってちょこちょこ掘りだした。先生はそこまでやらないでいいといったんだけど、Tさんは気になってしょうがないからと言って掘って行く。さらに階段が出てきてしまった。2~3段出してみたら、今度は東に向かっている。

工期も終わりに近づいていて、人も半分以下に減っていて、時間に余裕が無い為、重機で掘る事になった。ユンボがすぐ上まで入ってきて掘って行く。適当なところでわしが壁の土をユンボのバケットに入れ、Aさんは階段を出しながら土をバケットに入れる。翌日も同様な作業を繰り返したが、その日は強力な助っ人が来てくれた。人間ユンボといわれるYさんで、Yさんには底近くのユンボの届かないところを掘ってもらった。その後床も削ったら丁度ユンボのアームの届く手前20センチ位の所が床だった。わしも相変わらず壁の土を削って放り投げていた。Aさんは階段を出し終わり壁を上の方からキレイにしていった。階段の降り切ったところとYさんが出した床がほとんど同じ高さで、その先が階段2段分位深くなっていた。そこは水がでてどろどろになっていた。これで終わりにしましょうの声をきいて、ほっとした。翌日朝、前夜に降った雨で穴の底は水が随分溜まっていると誰かが言っていた。掘り残してあった地下室の一部を掘っていたら、水をポンプで抜いたら、、阿多掘ってもらいますからの声。ええっ?まだやるのか。しかし、ちょっと中途半端だった気がしてたんで、水が抜けるとすぐに行った。しかしどろどろのままだった。Aさんと二人で掘りだした。わしは水をバケツに入れて、ヌルヌルになって滑ってしまう階段にスポンジを敷いて滑らないようにしたところに、SさんT君などが並んでバケツに入った水と箕に入った泥を運んでもらった。水をかき出しながら掘っていると、ローム層の割れ目からきれいな水が流れ出ている。どろをほとんど取ったところで写真をとり、測量をして終了。結局最後の階段を降りたところは水場だった。大名屋敷の池のなかだったから、少なくとも池が出来るずっと前に使われていたんだろうと思う。終了と同時に埋め戻しが始まりその日の内にほとんどが土で埋まってしまった。1月半もかかって掘った穴があっという間に埋まってしまう。これがこの仕事の現実。


すちゃらか・たまらん・うーたろう








2014年12月14日日曜日

世界は馬鹿で出来てる エピソード5 空耳アワー




寒くなって来ましたね。お元気ですか?わたくしは、相変わらず膝が痛くカクカク歩いております。
世間ではもうクリスマスの雰囲気が出ていますね。no gods,no mastersのわたくしは、56年間
気にしていなかったのですが、joy to the world の歌詞が流れていてメガネからレンズが落ちました。

もろびとこぞりて⇒毛呂人小橇で(もろびとという人達が小さなソリで)と思ってました。
しゅはきませり⇒酒輪木増せり(しゅわきという木が増える)本当は、主は来ませり。ビックリだ。

と言う訳で、勝手に間違って憶えてた歌について、考えてみたいとおもいます。あ~暇だ。

まんず小学生定番のシリーズ。
「仰げば尊し」
わが師の恩⇒和菓子の音→意味が分かってからも和菓子で歌ってました。先生はえばってるから嫌い。

「赤い靴」
異人さんに連れられて⇒ひいじいさんに連れられて→わたしはこれ。人参さんキリンさんバージョンも有るらしい。
家にEPレコードが有りよく流れていたが、大人になって横浜で歌碑見て気が付いた。あれま。

「故郷」
これは当然、兎、美味しい鹿の山でしょう。なぜ鹿の山に美味しい兎が居るのか長い間悩んだ。

「チューリップ」
並んだ 並んだ 赤白黄色⇒悩んだ 悩んだ 赤白黄色→何故、難しい方に考える!

「大きな古時計」
今はもう動かない、お爺さんのからだ~   ひゃははたまりゃん。

「巨人の星」
これは日本中、思い込んだら⇒重いコンダラ→グランドならす重いローラー でしょう。
飛馬が毎日引っ張っていたような気がする。
ちなみに、星一徹は一度しか、ちゃぶ台をひっくり返してない。毎晩かと思ってたが。
小学生の時夕方家に帰ったら、ママが泣きながらひっくり返った、ちゃぶ台をかたずけてた。
嫌いなたくわんが出たらしくぶち切れた親父。大人もテレビを見て真似したかったらしい。

そういえば好きな物の例えに、「巨人、大鵬、卵焼き」てのがあったが、大人になって逆バージョンの嫌いな代表に
「江川、ピーマン、北の湖」てのを聞いて爆笑した。ピーマン可哀想。おっとだんだん頭がおかしくなって北酒場。




流行歌
「お富さん」
粋な黒塀見越しの松に⇒私の場合、いきなくろべいさんがお神輿に松の盆栽乗せてると思ってた。天才or馬鹿?

「木綿のハンカチィーフ」
いいえ星のダイヤモンドも海に眠る真珠も⇒いいえ欲しいのダイヤモンドも海に眠る真珠も→欲張りな女だと思ってた。

「なごり雪」
なごり雪も降る時を知り⇒なごり雪も、振る時おしり.........
21歳の時別れ話の場面、女子がこの歌をカセットテープで流しながらずっと文句言ってたが、わたくしおしりのこと
ばかり考えてたわい。

「ブルーライトヨコハマ」大好きな、いしだあゆみお姉様♡
あなたの好きな煙草の香りヨコハマ⇒あなたの好きな卵の香りヨコハマ→ゆで卵大好きなもんで。

洋楽......止めた。たくさん有りすぎるわい。また今度ね。

おまけ

のみ亭のホンキートークサロン⇒本気トークサロン→わたし変?
友達の音野さん⇒病院で呼ばれる「お殿様」「お殿様」 ひやっはー。

さて来週は、すちゃらかライブだ。面白いこと捜すべえ。あび太



憧れの生活ー乃木坂46-何度目かの青空か?







2014年12月11日木曜日

2014-11-24 すちゃらかしゃにんぐ あるぽらんライブレポート!その2

こんにちは。ともねです。
先日、11月24日、阿佐ヶ谷にある、あるぽらんでの、すちゃらかしゃいにんぐのライブレポート、
今回は、私、ドラムのともねが書かせていただきます!

とはいっても、ほんと、楽しすぎて、あっという間に終わってしまい、
ちゃんとしたレポートができるのか!?と不安ではありますが、
覚えている限りの全て、ここに書き残したいと思います。

私とすちゃらか(以下略させてくださいませ)とのこと、
少しだけ、、初めてお会いしたのは、、とそこからかい!と長くなりそうなので、
数回のライブにほぼ飛び入りの参加させていただいたり、レコーディングに参加させいただいたりと、
何度か誘っていただきましたが、今回は、初めて、ライブの最初から最後まで参加させていただくとのこと、
ライブのセットリストと譜面の分厚い資料が届いたときには、
もうドキドキ、ワクワク、汗汗でした。


あるぽらんHPより


さー、そんなこんなで、待ち遠しかったライブをこのときを迎え、思いあまって、
私は、入り時間を30分間違え、誰もいない、あるぽらんに到着。
初めて入る「あるぽらん」、未知の世界に足を踏み入れるような気分で、階段を登ったのでありました。

ステージには、想定通り、私と、うーちゃんしか乗り切らず、
やっちゃんはステージに座り、じゅんちゃんはほぼ客席へせり出し、類ちゃんも客席の机の真ん前と
立ち位置が決まり、リハーサルスタート!
色々音だしにも試行錯誤したけど、でも、みんなの何だか気迫があふれた演奏が
本番の盛り上がりを予想できそうだ!
といっているうちに、リハーサル終了。

本番前の作戦会議と、あるぽらんの向かいのお店へ。
作戦会議とは名ばかり(笑)、リハーサルの疲れを癒しながら、わいわい飲みが進んでいきました。
でも、注文したがそろうころには、なんと本番5分前!
ああ、これは食べてる場合じゃない!と、お店のお母さんが出来上がったら、
あるぽらんへ配達してくださることに!
さー、いざ、あるぽらん、本番へ向かいました!

満員御礼の客席で、もう早く始めてくれーという、お客様からのオーラが見えてる中、ステージへ!
色んな方から、「類ちゃーん」と黄色い声援がありつつ、演奏スタート!


                                          Photo by Kamochan

さー、ここから曲順にレポートを!言いたいところですが、
いやー、楽しすぎて、あっという間に時間が過ぎていってしまい、
もう夢の中にいるようで、、そのー、あのー、記憶が飛んでしまっているのです。
でも、、1曲目は、なんか覚えてる、じゅんちゃんが振り返ってくれて、笑顔、
やっちゃんと目が合えば、笑顔、ほんとみんな良ーく笑ってる、
そして、客席の皆さんの、あったかい目!
ほんと、愛されているバンドなんだなーって思いながら、時が過ぎていきました。

じゅんちゃんのなめらかーなMC、そして、語りかけるように唄う歌声、
そして、それを後ろからよしよしと支えるベース、うーちゃん、
リードギター、やっちゃんの弾くあったかいギターを聴かせたいと、メンバーみんなが想う、
そして、すちゃらかのアイドル、類ちゃん、でも、とても頼もしく太い音を出し、
彩りを付けてくれています。
そんなメンバーに囲まれて、私も後ろから、わいわい盛り上がっておりましたよ。



                                          Photo by kamochan

あっという間に前半終了!
休憩の最中、先ほどの向かいのお店から届いた焼きそばをつつきながら、
まだ終わってないけど、またやりたい、ツアーに行きたいなど、
この先の話をしてみたりして、後半へ。

前半も盛り上がり以上に、後半もどんどん、前半の緊張感も解けてきて、演奏は最高潮へ。
あっという間に時は過ぎ、じゅんちゃんから、最後の曲、と告げた言葉に思わず、
「早いなー」とつぶやいてしまった、そしたら、大量の汗を流してる、やっちゃんが
「ほんとだねー」って。
時が過ぎているのを忘れてしまうほど、ほんと楽しい時間が過ぎていた事を感じたときでした。
最後の曲「この店にある酒全部」でのほんと
最後の最後の「サルー(乾杯!)」のかけ声もぴったり合い、
アンコールもいただき、みんなが幸せの時間を過ごしている、
あったかい時間が終わりをついに告げたのでした。

のどがかれかれになりながら、ライブの熱気を残して、お店ではみんなで何度も乾杯をし、
記念撮影し、楽しい夜は更けていきました。

                                         Photo by Kamochan

やっちゃんは、そんな盛り上がったライブの後、お店を開けると(素晴らしい!)と帰り、
残りのメンバーで、居酒屋さんで、再度、サルー!
わいのわいの、ライブのこと思い出しながら、たーくさん笑い、素晴らしい夜も終わりを告げました。
とさ。

明るい打ち上げ   Photo by Junchan

すちゃらかしゃいにんぐ、あるぽらんライブ、本当にお疲れさまでした。
そして、いっぱいのありがとう!


すちゃら課  ともね

2014年11月26日水曜日

2014-11-24 あるぽらんライブ簡単報告

いやぁ、楽しかった。気持ちよくやれたライブだった。
まぁ、若い女子が2人も遊んでくれた訳だから、
楽しくない訳がないか。

なんと29年ぶりに阿佐ヶ谷の「あるぽらん」でやるライブだぁ。
当日、4時半にあるぽらん入り。立ち位置など決めてセッティング。
マイクやアンプを差し替えたりして、なんとか形にしていく。
何曲か音出して、あびの意見聞いて、音の微調整を終えて、
あるぽらんの真ん前の居酒屋で大好きな作戦会議。
すちゃらか+あびは、早速ビールを流し込む。
いやぁ、練習で汗かいちゃったんでUm。
類ちゃん、朋ねぇはお茶。マカロニサラダ、鶏カラアゲ、
マグロブツ山かけ定食はやっつけたが、やきそば出てこないまま、
開演時間がせまる。しかたないので、あるぽらんの控え室に出前してもらうことに。

さぁ、いよいよだ。お客さんもけっこう来てくれているぞ。
一番乗りで来たKもちゃん、ステージの真ん前で類ちゃんを狙う?位置にいる。
Aりさんもムービーカメラ構えてる。お、Nしやん、Eスンさんも、
あれ、Kま子もいる、何で知ったんだろ?。Kじゅ奥さんがKじゅさん来るの待ってる。
Mえ吉、Oとちゃんも、あとは、うーちゃんの知り合いとかで結構埋まってきた。
バイトのライオン君に麦のロックをたのんで、いざステージへ。


                                            Photo by Abichan

1部はいつものようにご挨拶ソング、
①We Are The すちゃらかしゃいにんぐ
で始まり始まり。
②ハーバーナイト
③On The Sunny Side Of The Street
いいカンジで流れてるぞ。
④ずっとこのまま
⑤ホーボーとはいえ
と、オラが2曲続けて歌い、
⑥ノベンバーブルース
⑦私が一番きれいだったとき
うん、なかなかいい調子で前半やれた

1部の後半のほうで、客席の奥に目をやると、何か光ってる。
上のライトにあてられた、AKBぅのおでこだった。バイト終わって来てくれたんだね。
休憩で灯りがつくと、お、Mなちゃん、Sよっぺ(Mぎ)、Bロンも来てくれてる。
控え室で先程の焼きそばをたいらげ、2部へ突入。

⑧スターダストラブ
⑨おおシャンゼリゼ
類ちゃんのステキなイントロで、オラが歌う。今回はバンジョーで。
⑩ビァ樽ワルツ
みんなで、ヘーイ!だぜ。
⑪オフェリア
マリアッチな歌。
⑫ホーボーブルース
オラとうーちゃんでコーラス。
最後の曲はTex Mex 調の新曲。
⑬この店にある酒全部
類ちゃん Tex Mex 風味出して、朋ねぇの2ビートが気持ちいい。サルー!。
みなさんにアンコールを頂きました。
⑭サイフはからっぽ
「楽しくてあっという間だったね」、と朋ねぇと話しながら、お片づけ。
お、K子の姿が、韓国語教室の後かけつけてくれたのかぁ。
あるぽらんのマスターの佐々木さんから、
「みなさん、お疲れでした!」、と良く冷えた缶ビールが。
うん、旨い。気持ちよくやれたライブのあとのビールは、
まるで温泉上がりのビールのようだ。

                                              Photo by Minachan

みんな、楽しかったって云ってくれる。久々のNしやんとEスンさん、
すちゃらかブログで今日のこと知ったそうで、
「来てよかった」、と云ってくれた。来てもらえて久々に会えて嬉しかった。
しばし歓談の後、オラは店を開けるため戻ることに。
みんなは、阿佐ヶ谷で軽く打ち上げするというので、
AKBぅと駅まで歩き、独り電車に乗り西荻へ。
看板だして、すぐにビール開けて、独りニヤニヤしながら、
「楽しかったぁ!」、とグイっと飲んだ。
うん、来てくれたみんな、ありがとうございました。
次回は、初めてすちゃらか全曲参加した、朋ねぇの報告です。
お楽しみに。㋳

開閉商事営業3課 やっちゃん


「2014、お!な姫たち⑥」
・藤原さくら-Full Bloom
姫じゃなくて男だけど
・THE RODEOS-UNCONTROLLBLE!

THE RODEOS-UNCONTROLLBLE

2014年11月20日木曜日

俺たちゃイカレタ楽団

  「お知らせします。
   来週の月曜日、24日は振り替え休日です。
   その日、すちゃらかしゃいにんぐが阿佐ヶ谷アルポランでライブを行います。
   前回のライブは1985年、なんと29年ぶりです。」

というワケで19日(水)に2ndリハーサルがあった。
竹廣類ちゃんと柿沼朋音ちゃんも参加し、5人リハである。
今回のミッションネームは、「アルポランなのであるぽらん作戦」。
いつもながら、特に意味はない。
意味はないけど、期待はある5人が13時過ぎにダラダラとのみ亭に集合。
それぞれにチューニング並びにセッテイングあ~んど腹ごしらえも済ませ、朋音ちゃんのドラムも
用意完了。
「うんでは!」ってカンジで始まった。
作戦名と同じく、セットリストもあれもこれも並べた感で、つかみどころのない選曲である。
まっ、やりたい曲だけ選んだってことにしておこう。
それと、庶務課長からリクエストをもらったんで、そこは外すわけにはいかない。
なんたって、レモンのしぼり方ひとつにさえコダワル人物だ。
睨まれることは避けたい。
営業2課の存続問題にも成りかねない。
ここはひとつ、持ち上げるだけ持ち上げておこう。
ゴマすり商法は、営業2課の十八番だ。


休憩中

1曲目からすっすっと本番の演奏順に進めていく。
「ん?」
「なんだなんだ?」
すんごくいいカンジだ。
3人でやった1stリハのふらつき感がなく、ドッシーンとしている。さすが類ちゃん朋音ちゃん。
頼りになる女子部だ。このままアルポランに行っちゃいたいくらいだ。ふふふ。
本日はのみ亭の細長いスペースに縦一列というか横一線ってな配置になっていて、俺は真ん中で
弾いている。右から類ちゃんとやっちゃんのメロディーが聴こえ、左から朋音ちゃんとうーちゃんの
リズムが入ってきて、超スーパースペシャル特等席だ。左と右の耳がキモチいい。
休憩をはさみ、1曲1曲の確認をしながら、17時過ぎににスイスイっとリハーサル終了。
と、なったら作戦会議だ。
急いで場所を移そう。
ノドがカラカラって鳴っている。

「乾~杯~!」
「おつかれ~。あんどがんばろうゼ~」
「ぷひゃ~うンめい~~~!」
このセリフ、なん千回言っただろう。
類ちゃんと朋音ちゃんは、9月の原村以来で久しぶりの再会。
オヤジたちのしょーもないギャグを寸止めでかわし、ガールズトークでキャッキャしている。
俺は秘かに、「夜更けの納豆シスターズ」って呼んでいるけどね。
うぷぷ。
意味わかんねぇ人は、このブログ溯って、見てって。
9月の原村「なるほー3人旅」だよ。


会議①


会議②


会議③  撮影/Ruiちゃん


さぁ、支度は整った。
あとは流れにまかせて、楽しめばいい。
11月3日と前回にうーちゃんが、ライブチラシの紹介をしてたけど、「シツコイ!」って声は無視し
て、再再度載っけちゃう。
時間と場所を確認したら、Hey!ってな気分でおいでよ!
俺たちと GOODTIME ROLL しようゼ!


貴ぽんにもサンキュー



《営業2課 じゅんぼう》

2014年11月16日日曜日

アルポランなのであるぽらん作戦 三爺練習報告



上記練習を11月9日にやった。

寝ちがえて首をやっちゃたんで腕がしびれて、しびれはとれてきたんだけど背中の痛みがまだまだ
残っていて、なんで毎年肩腕背中が痛くなってばかりなんだろう、それも寒くなる頃とか寒くなってからとか、これが自由って云うのかい。ちゃうちゃうこれが老人への階段のワンステップツウステップやないかい。

大体練習は1時からが多いんだけど、今回は2時から。でも、何だか知れんが遅れないようにと思ったら1時開始に合わせるように出てしまい、のみ亭についたのが1時過ぎ。大分早過ぎたからやっちゃんまだおらんかと思っていたら、もう来ていた。カギをあけてもらって中へ入ると、ABにメール送ったんだけど全然返事がこないんで心配だと言いだす。ならちょっと待って、ほいどうぞ。要するに金欠と判明。しかし本日は仕事に行ってるらしい。仕事に行く事は喜びだ。頑張れ。

じゅんちゃん登場「あれっ?俺の方が早いと思ったのに」と開口一番。残念でした。

今度のオペレーションは全12曲。まあいつもと同じくらい。7月末にのみ亭で3人でやって、8月末に類ちゃんと4人で、9月頭にやっちゃん抜きで長野行って。10月は無し。ちょっと間隔あいたかなあ。とりあえず、じゅんちゃんのほうで若干の変更を入れた曲からやろうという事になり。先にそちらをやっつけていく。その後先に確認したい曲をおさらいして、新曲をやる。いつもだと新曲が2~3曲入ってくれんだけど、今回は1曲だけ。でも類ちゃんにとってはそうでもないかな。ちょっとわからん。新曲は聴いてからのお楽しみ。ヒントはTEXMEX.。ヒントにならんか。ごめん。で、いつもの休憩。じゅんちゃんはビールを買いに行き、やっちゃんは小部屋に入って、わしは留守番。


留守番はさみしいもんだ



留守番でごんす


休憩の後は、当日の曲順でやってみる。途中途中で必要個所は再チェック。やっぱ間が開いたのは大きくてちょっと細かいミスが。おっと、これはわしの場合ね。これは大丈夫と思っていた曲でもミスってしまった。なさけなあ。

それでも、なんやかやとやっつけまくって、いい時間になり。新曲も最初にやった時よりもものになってきた。あとは19日の女子部を加えた練習で、ということになる。

反省会はそのままのみ亭で行う。社長と庶務課長が来る。あるぽオペレーション時は社長は関西に行ってしまうらしい。社長と云うのは元祖スチャラカ社員のミヤコ社長もそうだったが出張が多い。そんなこんなと話していたんだけど、練習の途中で、今回フルでドラムにはいってくれる朋音ちゃんがやってるバンドのひとつ「センエツナガラ」が今日阿佐ヶ谷のチェッカーボードでライブをやると、じゅんちゃんがいっていたので阿佐ヶ谷在住としては夏の長野のお礼もあるしということで、途中退席しチェッカーボードへ向かう。

8時からのライブと聞いていたが、8時からはいつもはバンドでやっている若い人が先に一人で唄った。結構いい詩だった。その後「センエツナガラ」が始まり、朋音ちゃん以外の4人が4者4様で各人味のある唄を披露した。人柄がこれほどよく出るバンドも楽しいもんだ。ほんま楽しい。


「センエツナガラ」の演奏


演奏が終わった後、円陣を組んでCDの話をしていたが、Y君だけはカウンターの女子と話していた。あるぽライブのフライヤーをお店の人に預けて、2年前のるーぱんのライブの時に忘れた傘を頂き帰路につきました。


すちゃらか・たまらん・うーたろう







2014年11月9日日曜日

スィートホーム ララバイ

俺の出生地は東京都葛飾区の上小松町というところ。
今は東新小岩という地名になっている。
当然、下小松町というところもあって、小松川という地域があり、小松菜の発祥地という土地紹介の流れになる。「という」が多くてすまん!

生まれたのは昭和だと20年代後半(西暦だと1950年代でやんす)、ガキパワーで遊び回ったのは30年代。
典型的な下町環境ゾーンで、中小企業の下請け孫請けの工場(こうば)があちこちにあり、吹けば飛ぶような家が寄せ集まった町並みだった。・・・なんだけど、田んぼや畑もそこそこに残っていて、中途半端に田舎くさい地域だった。
家から、総武線新小岩駅まで歩くと急いで15~6分、フツーで20分。どぶ川沿いの砂利道を歩いて駅に近づくと、道路はグラデーションのごとくアスファルトに変わっていった。高校時代、行き帰りにハイライトを吸いながら、モヤモヤと広がる人生のコトを夢想して悶々と歩いた道だ。
一握りの金持ちの他は、ほとんどが貧乏人所帯で内(家?)風呂のある家は少なく、銭湯があちこちの町内にたくさんあった。それぞれの休業日のローテーションが入っていて、通い分けていた。
瓦屋根とトタン屋根と茅葺き屋根とが混ざり合い、路地とどぶ板が入り組んで、台風の後なんかはいろんなモノが残骸となって道を塞いでいた。
小学校から帰ると路地や原っぱで暗くなるまで遊んだ。金はないけど時間さえあれば、経験と知恵を大回転させてアソビを考え作り出していった。地面と木と石さえあれば、何時間でも遊べた。
子どもなりのキマリというか、伝承みたいなのがあって、上の子が下の子の面倒を見て、弱いモノにはハンデをつける。貧乏人同士の扶助みたいなモノが子どもながらにわかっていた。そして受け継がれていた。
親たちは自分の子もよその子もいい事すると褒め、ワルサをすると叱ってた。
他人の家の情報は、夕飯のおかずまで含めてある程度筒抜けで、母親たちは洗濯物を干したり、道路の落ち葉を掃いたりしながら、「今、町内で何が起こっているのか」を立ち話していた。
路地の隙間や垣根越しに季節の風が抜けて、ほどほどのおせっかいと他人任せとが調和し、風通しがよい町、そして暮らしを紡いでいた時代だった。
誰もが日々を一生懸命生きていた。


風に描かれた子供たち 画/永島慎二

不幸にしてさんざんな子供時代を送る人もいるが、幸いに俺の子供時代は恵まれていたのだったと思う。
毎日が黄金色の日々だった。
何を基準に幸せ度を計るのかってことにはなると思うのだが、すきっ腹型バカ頭には「今夜のご飯はカレーライス!」。それだけで、満ち足りて幸せな一日であった。
どこの家でもたくましさと笑い声があり、金だけがなかった。
でも、「そんなこと、言ったって始まらねェや」って感じで大人たちは働いていた。たまに酒の席で言い合いになって、掴み合いの喧嘩をしてるのを見ることがあったけど、次の日になったらいつも通り冗談の言い合いっこをしてた。
ああやって、溜まっていたものの吐き出しをしていたのだろう。
俺も両親から、「金はないけどなんとかなるさ」という遺伝子だけはいただいて、今日までやってこれた。ここのトコロは素直に感謝だ。
戦争があって、果てしない悲しみがあり、高度成長といううやむやのすり替えがあって、すべてのツケは民衆に降りかかっていた。昭和に限らずだけど、戦争の親玉(商社も含めて)は、いつの時代でもゾンビのように立ち代りすり替わるのが、この国の悪の温床システムだ。
負けるな民衆! 立つんだ大衆!! 歌え皆の衆!!!

たま~に新小岩で、小学校中学校の同級生らと呑む事がある。
俺は25歳くらいで家を出てしまったし、その家も今はない。
田んぼや畑は、マンションやコンビニに変わり、日常的に誰かしらが落っこちてたどぶ川は、暗渠となりバス通りとなった。
でも、意外と新小岩で住み続けてる友だちは多い。男は家を継ぎ、女は・・・、様々な理由で暮らしている。
みんなりっぱにおじいちゃんおばあちゃん、あんどオヤジおばんだ。老けてる奴から若づくりの奴まで・・・、それぞれに人生を積み重ねている。
何十年ぶりかで会った奴なんかタイムマシンものだ。完璧に時間を飛び越えてしまい、振り幅に暫し呼吸が停止する。
でも、みんなあの当時の面影というか、手がかりというか、思い出ポイントを持っている。顔のパーツはもちろん、話す時のクセとか笑い方とか・・・。
まぁ、俺も同じように見られているわけだが・・・。

みんな、俺がギター弾いてたのを知ってるので、会うと聞いてくる。
「日川、まだギター弾いて、バンドとかやってんの?」
「あぁ、道楽だからな」
「へぇ~、何人編成? どんなバンド?」
「三人バンドだよ。ギターとギターとベース」
「おぉ かぐや姫じゃん! それともアリス?」
この連想は、この年代にとって梅にウグイスくらい仕方ない。仕方ないとわかってはいるが・・・
「おまえ! それ以上言ったら殺すぞ! ふぉーくじゃねぇんだからな! なめんなよ!」
「わかった。わかった。んで、日川は南コーセツ? それとも伊勢ショーゾー?」
「・・・ダメだこりゃ」


ギター少年だった頃


《営業2課 じゅんぼう》

2014年11月7日金曜日

アングレーズ11周年

11月3日。我々の親友のケーキ屋Uめちゃんのお店、
「アングレーズ」の開店11周年パーティに参加しました。
その様子を報告します。

開始時間から少し遅れて、5時15分くらいに「アングレーズ」に行くと、
まだ人はまばら。Tぽん、Kぶちゃん、Eミリアがいる。
カウンターの一番奥には、Uめちゃんの高知時代の友人の姿も。
ん?、新しいバイトの女の娘、・・・可愛いぞ!。
シャンパンを貰って、「おめでとう」、と乾杯。
ふむ、キリッとして旨い。
めいめい皿に盛り付けられたおつまみも旨いぞ。
アボガドのディップ、いいですねぇ。
キッシュにかぶりついてると、オラとの待ちあわせ時間をすっぽかしやがった、
Mぎちゃんが、「Uめちゃんおめでとう」、「やっちゃんゴメン」、と入ってくる。
社長、Aりさんも到着。荻窪時代にアングレーズでバイトしてたNなちゃんも、
彼氏と一緒に来て幸せそうだ。K平もやっと来たなぁ。

混んできたし、タバコを吸いたいオラとMぎちゃんは、外のテーブルへ移動。
すると、Kぶ、Eミリア、社長、Aりさんも出てきて、
店頭は、まるでのみ亭状態。
酔ったEミリアのタガがはずれて、エロ話が出るたびに、皆でしずめる。
「ここは、のみ亭じゃないんだよ・・・」。

酒の給油に行く度に、中も盛り上がってきてるように感じる。
Tぽんの調子があがってるもん。
サラダやらスープも、外に運ばれてくる。旨いぞ、Uめちゃん。

Uめちゃんの高知の友人のOじんが帰るみたいなので、
「この娘も高知なんですよ」、とMぎちゃんを紹介する。
「何処?」、「四万十です」、「え、オレ四万十に人を呼ぶことやってるんだよ」、
「あ、その人たち知ってます」、・・・・・と、またひとつ、つながりができた。
名刺貰ってたので、また何か生まれるかも知れないね。

んー、オラもいい調子になってきたなぁ、と思ってると、
Aかりちゃんがチャリでやってきた。
お!、ベーコンも出てきたぞ。Um(ウーマイナー)。
ギター背負って、ウクレレ持った、スタジオ帰りのSボちゃん♥も登場。

さてと、そろそろ戻らないと、と、オラはのみ亭に戻り開店。
その後、パーティ参加者が続々移動してくる。それ以外にも、
韓国語教室帰りのK子、Pか、とかも。

「お疲れ、Uめちゃん」。早くから準備で大変だったよね。
腹へってるらしく、ヤムカイダウ(目玉焼きに合え野菜)乗せごはんを注文。
Uめちゃんとは何回かタイに行ってるので、
スプーンとフォークの使い方は上手だ。
そういえば、タイの街を歩いてても、常にお菓子と菓子屋はチェックしてたっけ。
チェンマイでは、イタ(タイじゃねーぞ)飯屋の厨房を見せてもらったりしてたね。

そうこうするうちに、Uめちゃんから、
「何かやってよ」、とのリクエスト。
Sボちゃんがギター出して、Tぽんと「サリーガーデン」を唄いだす。
あまりに素晴らしかったので、「テディオニール」も唄ってよとたのむ。
いやぁ、これがまた、すんばらしいたけ。
Kぶちゃんがバックで、象さんギターをいいカンジでつけてる。
Aかりちゃんも唄う。上手だ。Sボちゃんとのコーラスもいい。
なんとAかりちゃん、合唱部だったんだって、納得。
やっぱり歌唄ってるMぎちゃん、唄うかなと思ったら、
終電の都合で、もう帰るってさ。
唄はまだ続き、Uめちゃんも、ピーピー笛吹いて楽しそうだ。

Uめちゃん、よく頑張ったもんね。いろいろと苦しい時もあったけど、
ふんばったよね。
そして西荻に移ってきて本当に良かった。
何たって歩いて行けるもん。
彼女も出来たしね。オラも頑張るがや。

「じゃあね、Uめちゃん、お疲れ様、ありがとね」、
「Tぽん気をつけて帰ってよ」、
などど云ってる隙に、オラはSボちゃんに〇〇〇街での、
デートをとりつけていました。
「いいですよ、楽しそうですね、是非行きましょう」。

唄って、いいなぁ、素晴らしいなぁと思いながら片付け。
オラたちも、11月24日の、阿佐ヶ谷あるぽらんライブ、頑張ろう。
あ、その前日の23日、Sボちゃんは、吉祥寺でワンマンライブです。
類ちゃんは、それにも出演なので、2連ちゃんですね。

Uめちゃん、お菓子を作り続けられることって、本当に幸せなことだよね。
これからもオラたちを、ホッペダウンさせてね。
約20年前の大晦日の夜に始めて会ったとき、
君の作ったパイ生地を食べたときのホッペダウン。
ものすごく感動したんだからさ。


開閉商事営業3課 やっちゃん

記載漏れの去年の・・・・。
「2013、お!な姫たち⑤」
   ・正山陽子-Yoko Masayama

「2014、お!な姫たち⑤」
   ・Adi Nada-ここにうたがあるから
   ・ヤスミン-Portrait
   ・松本佳奈-死んだように生きるのはもうやめた
   ・HONEBONE-TOO MANY KISSES
   ・由紀さおり-VOICES
   ・安倍なつみ-光へ classical&crossover

安倍なつみ-光へ classical&crossover

2014年11月3日月曜日

11月24日(祝)阿佐ヶ谷「あるぽらん」ライブ決定

2014年11月24日(月)勤労感謝の日の振り替え休日。
なんと29年ぶりに阿佐ヶ谷「あるぽらん」にてライブを行います。
じじい3人と+類ちゃん+朋音ちゃんです。チャージは1ドリンク付き2000円です。
皆さまお誘いあわせの上、こぞってご来場ください。まってますわ。
29年前の時はマスターはまだ先代の方で、三丁目ジャグバンドとの対番でした。
なべいちが加わった四人で演奏したんじゃなかったかなあ。阿佐ヶ谷に住んでいた友達のGさんが
今は亡きY君と来ていたのは憶えている。そんなことがあったんで阿佐ヶ谷に引っ越してきて最初に行った飲み屋は「あるぽらん」だった。今のマスターのSさんは面倒見のいい人で若い連中が沢山いて、引っ越したその年に温泉旅行にとことことじじい一人まぎれこんでついて行った。ここんとこやっていないが光玄の武蔵野ツアーの時は必ずライブをやっている。お店のなかは、店のキャッチフレーズにある通りなつかしい中央線ぽい居酒屋。落ち着いています。
今のうちにスケジュール確認して当日ガンバッテ来てくださいね。
ここで注意事項1点。開始時間が早めだからご注意を。18時開場、18時30分開演です。のみ亭だとのんびりと始めるけど同じように考えたら痛い目にあうよ。お気をつけて。





すちゃらか・たまらん・うーたろう




2014年10月26日日曜日

痛い。痛い。痛い話。

総合建築手元業のおいらは、最近友人のタイル屋の手伝いでマンションの改修工事をやっておった。18階建てやで。エレベーターホールの前でセメント練って、バケツに入れて狭い足場の上を300m程1日に何回も運んでおった。したら、3日ほどたったらぶつけた訳でもないのに左膝が痛くて歩けんのよ。故障者リスト入りだわん。日本シリーズにも出られんわ。でベットに横たわっていたら、今までの怪我をいろいろ思い出したから適当に書くわ。みんなも痛がってくれ。尚、暴力事件及びワイセツ関係は除くで。


きゃわいい

1960年頃(2歳)
大金持ちのおぼちゃんだったおいらは、沢山のおもちゃに囲まれて暮らしておった。ある日、2階の
窓のレールの上で電車を握ってガタンゴットンしてたんや。手すりの無い腰高の窓や。で気が付くと
空中や。きっとママンが将来を悲観して押したんだな。地面は土だったんだが、残念ながらその先の有刺鉄線に右足首が引っかかって止まったぜ。次に覚えてるのは、古い丸形のトヨタクラウンの救急車の中や。この時頭を打ったおかげでその後の人生がおかしくなったんなや。たぶん。右足首に4針傷有。

1963年頃(5歳)
聡明で豊かな家庭の子息が通う幼稚園に通っておったが、お遊戯が苦手なおいらは、園から脱走をはかった。園舎を飛び出し一目散に隣との境の塀に飛びついた。が、大好きな手塚先生の声に振り返り、天辺でバランスを崩し隣の蕎麦屋さんのざるが干してある台の上に顔から落下。そのまま園長先生の観音開きのトヨタクラウンで病院に。打撲、切り傷多数。この時顔を打ったおかげでこんな顔になってしまったんや。たぶん。


大滝すべりやで

1965年頃(小2)
その頃大人気だった船橋ヘルスセンター(ちょちょいのちょい)父上と母上と真夏の巨大なプールと大滝すべりへ。興奮したおいらは、1日中大滝すべりに何度も挑戦した。しかし、帰りの京成上野行き急行電車の中で熱が出てきて股間がとても痛くなったんなや。泣きながら帰り翌日母上におんぶされて、お医者さんへ。大滝すべりのし過ぎで金玉が摩擦熱で腫れてしまったんや。看護婦さんにお薬塗って貰ってお帰りくん。竿の方にも塗って…おっとこの時の摩擦のおかげでこんな○○○なったんなや。絶対。現在秘密の後遺症有。

1967年頃(小4)
父上が緑屋の月賦で自転車買ってくれたんや。走るより早い手段を手に入れたおいらは、ブレーキを掛けずに走り回っていた。東京スタジアムの前の千住間道に飛び出したおいらは、キッチリ日産サニーバンの下敷きに。丁度通りかかった日産セドリックのパトカーに乗せられ救急病院へ。サイレンはウーウーやで。左足骨折。自転車は廃車や。月賦だけ残る。
お、事故の保険金はどうなったんやろ?

この頃、小さな怪我多数。母上がお友達に「男の子は育てんの大変ですわ。お医者様ばかりで。おっほほ」と嘆いておった。

中学生
だいぶ落ち着いてきたが、ぼちぼち暴力沙汰が出始める。


膝擦りやで

1975年頃(高1)
自転車よりはるかに速いバイクを手に入れたおいらは、レーサーの真似事をしてよく峠道を攻めていたんよ。この頃は、暴走族の全盛時代時代で都内走ってると、スパナで殴られたりガソリンかつあげされたわん。あいつら灯油ポンプ持って走ってるのよ。赤いパフパフするやつ。ドクター中松が発明したのよん。いつものように秩父の正丸峠を攻めてたんよ。めちゃめちゃ上手いやん。
おいら、グランプリレーサーになれんじゃね。右コーナー、左コーナーすすいのすいや。調子に乗って次のコーナーへ侵入。ブレーキングも姿勢もばっちりや。お、何だ、道路の真ん中に黒い塊が。氷が張ってるんや。あれま、膝擦りどころか肘擦り、いや全身擦りや。バイクから投げ出されたおいらは、崖下へダイビングやで。こうゆう時はなぜか全部スローモーションになるんやで。
暫く気を失ってたが、通りががりの人達に担がれて道路へ。大した怪我は無いが左のつま先が変な方向いてるわい。泣きながら
自走で帰宅。左足首骨折。アーメン。

20代 さまざまな怪我多数。ここには書けないが、のみ亭で一話50円で語るで。痛いけどめちゃおもろいで。


気を付けろ


1994年頃(おっさん)
朝の甲州街道をスクーターで走っておった。もう落ち着いていたが、ウ〇コが漏れそうなので少し飛ばしていた。したら路地からいきなりでかい猫が飛び出して来て、おいらは猫に乗り上げ転倒や。で10回転位して反対車線へ。目の前に大型ダンプ。急ブレーキの音が響く。おいらは「僕は死にませーん」て叫んだわよ。危機一髪止まったぜ。何故か又スローモーション。目の前にダンプの
ナンバープレートがあったよ。因みに八王子ナンバーだった。でまた救急車や。最新型のハイエースだったよん。サイレンはピポーピポーやった。
左手首骨折、全身打撲。スクーターは大破。なみあぶだぶつ。後日、加害者、住所不定の猫で労災保険出たで。たまりゃん。

書いてて古傷が痛むわん。普通の痛くない人生を送りたいよん。神はどこまでわたくしに試練をお与えなさるのか。
ちくしょう、左足庇ってたら右足も痛くなってきたぜ。中足も不調だしプンプン。



脂肪と水しか溜まらん、あび太


マキシムザホルモン  かっちぇえ♡

(^^♪今の気持ちの1曲♬

メス豚のケツにビンタ(キックも)    

マキシマム ザ ホルモン   アルバム予襲復讐より
                       
作詞作曲 マキシマムザ亮君

電車に乗って 座った横に 化粧するブス(化粧するブス)
ファンデーション塗って つけま貼り 変身後ギャル (変身後ギャル)
急ブレーキで車内揺れて 肌重なり
ぼ、僕を睨み 舌打ちしたあのビッチ

スクリーム スクリーム スクリーミング FA×× OFF
すっぺえ すっぺえ すっぺえぜ oh maygod!
スクリーム スクリーム スクリーミング FA×× OFF
永遠のフラストレーション

yeah!!
メス豚のケツにビンタ(キックも)
メス豚のケツにビンタ(キックも)
メス豚のケツにビンタ(キックも)
メス豚のケツにビンタ(キックも)
メス豚のケツにビンタ(キックも)
メス豚のケツにビンタ(キックも)

おい、毎朝武蔵野線の車内で朝マックしながら化粧するブス、お前らに贈るぜ "(-""-)"

2014年10月14日火曜日

BANDやろうぜ!

いみじくも細野晴臣氏はおっしゃった。
「いいBANDは、いいBAND名がついている。」
名言である。
単純にして明解である。
そして、この公式はかなりの確率で当たっている。
センスと主張とインパクトがあって、一度聞いたら忘れない。それがいいBAND名だ。
曲とか唄が良ければ、後付けで馴染んでくるんだヨ・・・との指摘もあるだろうけど、おおかたの場合、BANDを作った時、BAND名を付けているだろうから、その時点でBANDは始まっているのだ。

昔々のBAND名は簡単だった。言い方変えるとダサかった。ヒネリもなくただそのままってのがほとんど。俺の小学中学時代、1950年代から60年代のBAND名は、地名やリーダーの名前、それと●△◆☆ブラザ―ズ(=シスターズ)みたいなのがよくあった。
それはそれでストレートでわかりやすいってのもあったけど、あきらかにヤッツケでつけたな、ってのもあった。
それとも、バンドの名前なんて軽~く片づけられていたのかナ?
殊に日本のGSなんかだと、はっきり言ってナサケナクなるような名前だった。事務所側が「これでいってみよー!」なんて勝手に付けたってケースも多かったみたい。
パターンとして、動物(獣・鳥・虫・・・・)系の名前が半分くらいを占めていた。
BEATLESの意味だけが直進してしまったんではないかな。カブト虫って言い方だけど、BEATに変えてヒトヒネリ入れたってのは届かなかったみたいだね。
60年代の後半になって、ヒッピー・反戦・ウッドストック~のあたりからBAND名に「名は体を表す」みたいなのが増えてきて、BAND名を知るのもワクワクしてきた。そして、BANDの方向性やカマエ方なんかがわかって、納得したりコーフンしたりした。
つーワケで、今回は俺の通ってきたBANDの名前のことをちらっと書いてみたい。チョー個人的なことで、マコトに申し訳ない。まんずまんずすまんすまん。
きりなくだらだらするので、セッション的なBANDは省くことにする。

【鹿鳴館】1973年~1974年
高校を卒業した次の年、葛飾バッタ村のコンサートがあった。それまでずっと一人で歌ってきたが、急ごしらえでBANDを作り演奏した。メンバーは俺以外、葛飾野高校卒業生という編成で、GUITAR/S田・BASS/U澤(ORANGE COUNTY BROTHERS=OCB)・DRUMS
/???忘れた、の4人。俺の唄を4曲か5曲くらいやった。
この時のBAND名はS田が飼っていた犬の名前だった。それは恥ずかしいから公表しない。
翌年、第3回のバッタ村コンサートで「はっぴいえんど」みたいなBANDにあこがれ、日本語のロックをやりたくて結成した。
初期は俺が詩を書きS田が曲を付けて、「ゆでめん」からのパクリみたいな曲が多かったけれど、最終的にはアメリカ南部の音に影響されていった。
命名者は俺。日本語=和と、ロック=洋で「鹿鳴館」ってのを考えたんだけど、今、口にしてみるとヘビメタBANDみたいだなぁ。
あと、英文字表記だと「ROCK MAY CAN」ネ。ここダイジ。でもないか・・・
S田がM大生になったので、京王線に乗ってI校舎や渋谷のSスタジオなんかで練習した。ライブハウス・コンサート・学園祭・・・、話が来ればどこでもやった。コワイものなんてなかった。音が出せればシアワセだった。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川(オレ)・GUITAR/S田・BASS/Y本・DRUMS/K田(OCB)後にK松・VOCAL/A尾の5名。
オレ以外はみんな大学生だった。

【DIRTY MERE COUNTRY BAND】1974年~1975年
鹿鳴館がメンバーの卒業・就職などで解散した。
その頃、俺とY本はカントリー音楽に惹かれていって、二人で「黒金音楽団」てのを作った。彼の部屋(黒金マンション)で曲を作ったり、録音したり、あちこちのライブ(高田馬場「???」や北千住「甚六屋」、小岩「???」)で演奏し楽しんでいた。
バッタ村のシンガーソング&ライターN川がそこに合流、結成された。
しばらくして、高校生だった高杉康史(やっちゃん)も加入、4名で活動した。
命名者は、N川。彼がその頃好きだった、「NITTY GRITTY DIRT BAND」からだと思う。「汚れてて単なるカントリーバンド」って意味だって聞いた。
俺とN川のオリジナル曲を中心に、JUG BANDからBLUE GRASSまで、やりたいモノだけをやった。
活動期間は、1年と半年ちょっとぐらいかな。新宿「ヘッドパワー」「開拓地」・三ノ輪「モンド」・立石「ぴいこ」・J大学祭・M高校文化祭・横浜のワケありパーティー・・・、思い出せるのはこんなトコ。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・BASS/Y本・VOCAL&GUITAR&BANJO/N川・F,MANDRIN/高杉康史。

【SON OF A GUN】1976年
Y本が通っていた音楽学校(六本木にあったプロ志向の奴らの学校だった)で知り合ったメンバーで結成した。メンバーの居住地がバラバラだったので、練習場所に苦労した思い出がある。青山や武蔵小杉なんかの貸しスタジオで練習した。
みんな上手でテクニックはあったけど、なんかまとまりがなかった。俺以外は学校の延長でいたのかなぁ・・・。
俺の曲もやったけど、Bonnie RaittやMaria Muldaurなんかもやったなぁ。メンバーの意向で・・・。そこらへんにもムリがあった。
最初の頃は、BAND名もなかった。2ヶ月くらいして、練習後の呑み屋で俺が強引に決めた。「コンチキショ―」ってな意味で、いい方にも悪い方にも使われる言葉だけど、ここにもムリがあったな。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・BASS/Y本・PIANO/Sa田・GUITAR/???忘れた・DRUMS/???忘れた、の5名。半年くらいの寿命だった。

【COUNTRY DRINKERS】【新高ドロップス】【プラサーズ】1978年~1981年
やっちゃんとは酒飲みバンドとして、「DIRTY MERE」以後もちょこちょこ演奏していた。「チャイナパンプス」とか「できんぼーいず」って名前も使った・・・
二人だけだとちょっとサミシイのでU澤に相談したら、彼がその頃加入してた「エドズバム」のフィドル弾き/小島康夫を紹介してくれ、3人で演奏活動を開始した。
主に西荻周辺の演奏が多かった。葛飾区立石のライブ喫茶「ぴいこ」でも一度やった。
BAND名はいい加減半分、シャレ半分で変えていった。
「COUNTRY DRINKERS」は、ずっと前から。やっちゃんと二人でやっていた頃からなんとなく付いてた。
「新高ドロップス」は「ぴいこ」でやった時だけ。俺が考えた。
「プラサーズ」は、当時やっちゃんが働いていた「ほびっと村/プラサード書店」から、小島が命名した。あの笑顔と共に。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・F,MANDRIN&GUITAR/高杉康史・FIDDLE/小島康夫。


COUNTRY DRINKERS/久我山O内パーティー 
PHOTO=なべいち

【GRANDMOTHER JOINT】1978年~1980年
バッタ村の活動はミニコミ誌の月イチ発行だけになっていった。
それでも音を出していきたくて、千葉県市川市でコンサートを3年くらい続けた。
「JOOK JOINT JUNK」ってコンサートタイトルを付けて、酒とつまみを持ち込み、音楽と騒ぐのが好きな奴が集まるパーティーみたいなフリーコンサートだった。
その時だけ演奏するBANDという形で結成した。
初期のメンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・BASS/Y本・PIANO/Sa田・FIDDLE/小島康夫の4人。
その後、GUITAR/U田・DRUMS/W田・DRUMS/M田・BASS/U澤なんかに手伝ってもらった。
命名者はY本で、「お婆ちゃんのブットビ葉っぱ」。
なんか効きそうじゃない? って言ってた。


GRANDMOTHER JOINT
/Sa田・M田・U澤・小島康夫・U田・オレ

【すちゃらかしゃいにんぐ】1982年~
現在進行中のBAND。
現在のメンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・GUITAR&F,MANDRIN&BANJO/高杉康史・BASS/宇佐見和夫。それとマドマゼルねーちゃんのACCORDION/竹廣類。
最近はこの4人で動いている。
結成の経緯とかそこらへんはこのブログであちこちに書いてるので省略。
命名は俺。
小島の墓参りの帰りに、小島の高校の同級生がやってる水道橋の呑み屋に寄った時、やっちゃんとうーちゃんに「BANDの名前なんだけど、こんなのどう?」と、2つ考えた候補の中から選んでもらった。
というワケで3人の総意が込められている。(そんなタイシタものではないか?・・・)
出どころは、吉本喜劇「スチャラカ社員」とジャック・ニコルソン主演映画「シャイニング」から・・・、なんてさらにどーでもいいか?


すちゃらかしゃいにんぐ/初期のすちゃらか 
画=小橋義寿


《営業2課 じゅんぼう》

2014年10月6日月曜日

「カラワン」のライブに行ってきました

9月27日(土)カラワンのライブに行った。
前日にメンバーがそろってのみ亭行った事は前回やっちゃんが書いた。
わしはその日阿佐ヶ谷の「A」でライブの打合せをして、途中からYさんと発掘の話になってしまい、
そうだ、くまさんも来ているのならば、9月にくまさんの家へ遊びに行った時のお礼を言わなくてはと
おもい、のみ亭へ向かったのだが、みんな帰った後だった。

翌日、14時15分に大久保でやっちゃんとじゅんちゃんと待ち合わせ。「A」の連中は14時に阿佐ヶ谷駅で待ち合わせと言っていたから連中もどこかで飲んでから行くのだろう。
わしらはやっちゃんがすでにを決めていた店へ向かう。新大久保に近いビルの地下だった。
席についてメニューを開くとビックリ。飲み物はオール280円、つまみの小皿はオール300円、隣の若い中国人の女の子が食べている鍋がとてもうまそうだったのだが、それは後で注文するからという事だそうだ。まずは生ビールとセロリとエビの炒め物、ピータン、唐揚げを頼む。午後の生ビールはおいしい。あてもおいしい。至福であります。途中でわしは日本酒八海山に変更。じゅんちゃんやっちゃんは生ビールのまま。あらかた飲んで食べた後に鍋を注文する。やっちゃんが棚に並べられた小分けした袋に入った具を選んでいく、それを麻辣味で作ってもらった。ちょっと辛いがうまい、わしは汗びっしょりこれが快感。続けて何杯か飲んでそろそろ行こうかと勘定をすると端数は負けてくれて3人で5000円也。いやあやっちゃんよくこんな店知っているね。先日はUちゃんとTぽんと来たと言っていた。

下準備が出来たので会場へ向かう。会場入り口でSとSちゃんに会う。SちゃんはRNOに道順を説明していた。3時位まで店を手伝っていたのでまだ着いていないみたい。中へ入りチケットをもらって席をさがす。「A」の連中も来ていた。上の方の席に座って開演を待つ。周りにはタイの人も結構いてタイ語が飛び交っている。


              じゅんちゃんのFBより転載

最初は豊田勇造さんとカイトゥンの演奏。豊田勇造さんもなんか肩の力がぬけて角が取れたようでとてもおだやかな感じで歌詞もメロディーもとてもよかった。カイトゥンのギターも出すぎずひかえめでとても好感がもてた。てれたような笑顔をときどき浮かべているのがいかにもタイの若者と言った感じだった。

カラワンは最初にスラチャイが出てきて「花」を唄った。バックはスラチャイの息子が付けていた。
会場のあちこちで一緒に歌う声が聞こえた。スラチャイが何曲か唄った後にモンコンとカイトゥンも出てきて。4人で演奏。モンコンの声とスラチャイの声が剛と柔というか激しさと穏やかさというか、二人のアンサンブルは何時聞いてもドキッとさせられとところがある。曲の予習をしてこなかったので曲は聞いたことが何度もあるのだが題名がわからない。でも何時聞いてもこころをゆさぶられてしまう。


                じゅんちゃんのFBより転載

20分の休憩。会場入り口ではビールとつまみも売っていて、なんとビールは300円つまみは200円開演前にも飲んだけど、再度買ってしまう。入り口前でいろいろ話す。くまさんは写真を撮りたいと言ったらこれをさげてといわれスタッフのカードを首から下げている。先日おじゃましたお礼を言う。ちえちゃんほうほちゃんにも重ねてお礼を言う。友部正人さんが来ていたので25年近く前にナモ商会で一緒にやりましたと挨拶をしたがちょっときょとんとしていた。休憩の20分を過ぎてもほとんどの人が戻らないので係りの人が催促に来た。

後半は豊田勇造さんも入れて5人で演奏。辛うじて題名を知っている「満月」「東京」なども演奏。「満月」はRNOが唄ってすちゃらかでもやったことがある。「東京ブルース」の時に友部正人さんが紹介されて舞台に上がりハーモニカで参加した。そして最後の曲。しかし、その後アンコールが2回もあって、さすがに2回目のアンコールは曲が決まっていなかったみたいで、いろいろ話しながら何という曲をやろうか考えていた。もっと詳しく曲の事とか書きたかったんだけど、ごめんなさいということで。ただスラチャイ、モンコン、カイトゥン、スラチャイの息子と豊田勇造さんの演奏はホームコンサートのようでとても楽しかった。スラチャイの声とモンコンの声のトーンのかさなりがまだ耳に残っています。


              じゅんちゃんのFBより転載

やっちゃんが帰りはここと決めた飲み屋にわしら3人とRNOで向かう。そこは大久保駅の側。入るとカウンター以外は畳敷き。懐かしい店に来たようだ。席に着くとおばちゃんが生ビールを持ってきた。まだ注文してないのになと思っていると、「サービスです」ええっ!すばらしいサービスです。
アサリの酒蒸し、枝豆、いいちこをボトルでたのむ。なんだかんだ話して飲んでぶりの塩焼き他にも少々。で、そろそろ帰ろうかという事になり、〆て4000円。間違いではなかったみたい。大久保の駅前でじゅんちゃんと別れ帰路につく。やっちゃんはこれから店を開く。わしはうまい酒と良い音楽を聴いて後は夢の中へ入るだけ。

営業一課 すちゃらか・たまらん・うーたろう

2014年9月30日火曜日

嵐のようなキャラバンだった

9月26日、朝起きてメールチェックすると、くまさんから何やら着信が。
なになに?、え、カラワンが今夜、のみ亭に来るって知らせだ。
店の電話、25日から止められてた様で、昨夜連絡つかなかったんだな。
大丈夫、営業してますよ、ってことと、大体の来店時間を尋ねる返信。
ん?、6時半か7時に8人か、つーことは、7時半すぎだな。

カラワンというのは、今から40年前の1974年、
タイの民主化運動の盛り上がりのなかで結成された、
プレーン・プア・チウィッ(生きるための歌)の旗手で、
タイ人なら誰でも知ってる超有名バンドだ。
オラとは、’85年くらいからのつきあいだから、もう30年になるのかぁ。


スラチャイとモンコン   Photo by Kumasan

8時少し前、誰も居ないのみ亭に、
大分髪の毛が白くなったスラチャイ(カラワンのリーダー)が、
満面の笑みで入ってきた。
「おお、久しぶり」、と握手&ハグ。
続いて勇造(豊田)やらひばりちゃん、モンコン(カラワンメンバー)など、
ぞろぞろと、8人ならぬ12人。
注文全部出し終わらぬうちに、BONちゃん、K子、M江、K寿やらも現れて、
もう、一気に大混乱。
ビールやら酒やら出して、焼き豚やら焼きそばやら、
豚バラ高菜漬け煮込みやら、ご飯やら出してひと段落したところで、
やっとスラチャイ、モンコンと乾杯。
「チョン・ゲーオ」(グラスを合わせようぜ)。くまさんも到着してました。
「明日の新大久保のコンサート楽しみだね」、などと雑談してると、また注文。
ビール、お茶、氷などの追加でまたてんてこまい。

タイ人もみんな、iPhone やら iPad やらで写真や、動画を撮りまくって、
日本の友人たちと「カンパーイ」をくり返してる。
若い子が2人いたんだけど、1人はスラチャイの19歳の息子。
もう1人は、カイトゥン(卵の茶碗蒸し)というあだ名のギター弾き。
2人のために豚クミン(豚肉、タマネギ、ミニトマトのクミン炒め)を作る。
2人とも、「アローイ・マーク」(とても美味しい)といって、パクパク食べて、
ビールをグイグイ飲んでる。勢いがある、若さだな。


Photo by kumasan


そうか、機械化の時代の貧民の牛車のキャラバン(カラワンという歌の歌詞)にも、
若い乗り手が現れたってことか。みんな楽しそうだ。
あっちに行ったり、こっちに来たりで酒飲んでるなか、
スラチャイだけは定位置(ギターアンプ前)から一歩も動かず、
ただニコニコ飲んでる。

カラワンともすごく久しぶりだ。たしか1999年、H本っちゃんが死んだ少しあと、
江古田の Buddy に見に行ったのが最後だったと記憶してる。
一緒に見に行ったM貴ちゃんも死んじゃったなぁ。
勇造とは、2001年2月15日、バンコクのサムヤーン市場の2階の店で飲んで以来。
初めて娘のAS子をタイに連れて行ったときのことなので、よく覚えてる。
O本さん、Mーシャとおちあって飲んでたら、O本さんが反対側で飲んでた、
勇造、ひばりちゃん、O野崎さんを発見して連れてきた。まったくの偶然だった。
その娘も今や母親になり、そ!オラも2人の孫のGになっただよ。

しかし、みんなよく飲むなぁ。
10時過ぎ、勇造が「さぁ、そろそろ帰ろうや」、と仕切ってくれて、
ダラダラと名残惜しそうに解散となりました。
みんなを見送ってから、ホントに山のような後片付け。
はぁ、まったく嵐のようなキャラバンだったぜ!。サバーイサバーイ(気分最高)。

開閉商事営業3課 やっちゃん

編集部注  カラワンの予定
  カラワン 40周年 in ジャパン
  9月30日(火) 19時 北杜市尾白の森名水公園べるが陽だまりドーム
  10月3日(金) 19時 神戸市上屋劇場
  10月4日(土) 18時30分 京都市コーヒーハウス拾得
  10月5日(日) 19時 高槻市南風楽天  


「2014、お!な姫たち④」
   ・畠山美由紀-歌で逢いましょう
   ・松本ゆりふぁ-Blue
   ・Mayu Wakisaka(脇阪真由)-Halfway to You



2014年9月27日土曜日

すちゃらか長野山梨デビュー『なるほー3人旅』その3 「初、電子的旅の記録」

長野寒いかなー
でもこのワンピース着たいし。
お散歩用ポシェットと、鼻歌用ウクレレと、お気に入りのハンカチも。

そんな、いつも演奏と関係ない事で悩むのです。
でもそれが毎回たのしいのです。

朝出てから同じ場所に帰ってくるまでの流れは、うーちゃんとじゅんちゃんがタップリ詳しく
書いてくれたので、私は省きます。笑

車に乗るのも、高速道路を走るのも大好きです。運転できないけど。
季節は夏の終わりで、やたら繁殖しちゃった月見草や鉄砲百合をさーーっと眺めながらゆきます。
緑が無くなると今度は街灯?等間隔で並んでるやつ。
がモヤシに見えて気になり出します。
気がつくと、寝てます。

着きました。
長野のカナディアンファームは毎日がフェスティバルみたいなところでした。
子供達がたのしんでいるトランポリンに混ざりたい気持ちで何度もウロウロしました。
でもアラサーなので我慢しました。
その姿を通りすがりの犬とニワトリに見られたきがして少しカアアとしました。


ライブ前の美味しいやつ

演奏はあっという間に終わりました。後々でてくるクマさん(パン焼きおじさん)がたくさん動画
を撮ってくれるので調子に乗ったソロをとったのを覚えています。
PAのおじさんも頭をフリフリ。
じゅんちゃん、うーちゃんも
ともねちゃんのドラムがついて嬉しそう。
気持ちのいいステージです。

おわりました。
うーちゃんの記事にあった石鹸屋さんのお姉さん、『後でひとのギターかりて歌うの。自分の
より良いの使えるから~』
宣言通りステージに出てきました。  やたら素敵な歌声でカワイイ猫のうたを歌って石鹸屋さん
に戻ってゆきました。
にゃーん。

日が落ちました。
ステージの屋根の梁の上をお兄さんが歩いています。照明を手際良く付けてゆきます。命綱もな
しに。
演奏者の後ろから子供達がシャボン玉で演出してます。ニワトリもウロウロ。

すっかり暗くなり、雨がポツポツ。終るの待っててくれたのかな。

ホテルにゆきます。
みんな、おつまみとお酒を買い込んでいます。
私は、ともねちゃんと納豆を半分こする事にしました。サトウのご飯にかけます。
私は殆どが初めて会うひとばかり。皆かなり酔っ払っています。
明日起きれるのかな。心配な程。

朝です。
標高があるので霧がすごく、気温も低め。ベランダから良い空気が入ってきます。

みんなにお別れを行ってサヨウナラ。東京でも会えますように。

ぶーん。あそびにきました。
くまさんち。
奥さんの美味しいテキパキ手料理と、くまさんのギュッとした焼きたてパン。
娘のほうほちゃんはとってもカワイイ子。ふわふわのスカートをまくしあげてニワトリを抱える
姿が頼もしいです。
ここにもニワトリ。二羽。犬一匹。
大人六人が移動すると、二羽と一匹もついてきます。
さんざんご馳走になりました。
もぎたてトマトのお土産も。
たくさんありがとうございました。また来ます。


素敵なS家

帰らなくちゃ。
くまさんが描いてくれた地図を頼りに道の駅へ寄って、お山にサヨーナラー。
うーちゃん、割とおきてます。
私ウトウト。
車内のテレビでは、錦織圭くん凄いぞ!というニュース。
一同、なるほー。
街の灯りが眩しい東京へ戻ってきました。私はここで生活してるんだったや。あちこち演奏旅行
へ行くけれど、毎回そう思います。

ばいばーい!
じゅんちゃんが買ってくれた『くるみやまびこ』(美味しいよ!)を抱えて嬉しいキモチ。

うーちゃん、じゅんちゃん、素敵な旅をありがとうです。
生まれて初めてブログ書いたよ。

すちゃら課   類。

2014年9月17日水曜日

すちゃらか長野山梨デビュー「なるほー3人旅」 その2 山梨編/「UKELELE LADY LIKE YOU」

さてさて、2日目の朝になった。
部屋の中は船底のようなありさまだ。
和室でもソファーの上でも、全員ダイイングメッセージの出し放題で、様々な方向を指して動かない。あるいは動けない。
昨夜の宴の残骸ピラミッドをすり抜けて、新鮮な空気を求め、ホテルの外へ散歩に出た。
昨夜からの雨は、シトシト降りつづいている。
乳白色に煙っている朝もやの景色というのも、またいいものだ。


お世話になった

♪ただ一面に立ちこめた・・・

朝風呂を軽くすませ、部屋に戻ると船底のマグロたちは仮死状態から、できそこない人間へ変態しかけていた。昨夜のコトを思い出せない奴、思い出したくない奴。どっちにしてもこの部屋にはこの分別しかない。
「じゅんちゃん、オレ今日使いものにならんわ・・・」
るーずぱんてぃ/おっちゃんが、電池残量5%くらいの寝起き顔で俺につぶやく。
うん、一目見てワカルヨ。主観と客観の一致ってヤツだな。
さらにおっちゃん、窓を見ながらつぶやく。
「ん・・・? 雨? 演奏どうなる? やるの?」
おっちゃん、あんたは小学生か! 他のコトは中止でも、あんたはやりなさい! 雨に打たれなさい!

8時前。
スタッフ&演奏メンバーたちがダラダラとロビーに集合しはじめた。子どもたちと女子は元気だ。本日の人格になっている。
全員で記念撮影をして、すちゃらかしゃいにんぐはここでお別れとなる。
昨日、俺たちの演奏を聴きに来てくれたS原クマさんから、「家へ遊びにおいでよ」と誘われたのだ。そして、そういうプランにすぐ乗っちゃう、すちゃらかしゃいにんぐなのだ。
クマさんの家は、最近併合された北杜(ほくと)市にあり、車で1時間かからないって言ってた。
撮影後、それぞれの方々に挨拶をして、ジミヘンねぇさんともお別れをして、るーずぱんてぃ/朋音ちゃんとは熱いハグで感謝を伝えた。
「楽しかったよ。また会おうゼ!」


メガネ女子と眼鏡オヤジィー

トリオ ザ ビーナスライン 撮影=ジミヘンねぇさん

小雨の中をクマさん宅へ向かって車を走らせる。
まっすぐな道をすー・・・・・・・・・・っと走ってく。
ただただ走る。
高原にライ・クーダ―の歌がよく似合う。
徐々に雨は上がり、薄日が差してきた。
風が車内を吹き抜けていく。
ん~・・・いい気分。いい一日になるな。

2年前の関西ツァーでは、K塚プロからお借りした車両「すちゃらか/アンパンマン号」が活躍した。今回は少人数なので俺の車を使用している。
で、車名は「すちゃらか/えぼ鯛号」とした。特に意味はない。
往路の車中で類ちゃんが「えぼ鯛って横顔がカワイイ!」と言ったので、即あやかったというワケだ。
俺も今度生まれてくる時は、魚コースのえぼ鯛科を受けてみようと思う。

えぼ鯛号のカーナビは、バージョンアップなるモノをやっていない。
したがって、新しい道路とか町名とかに弱い。
というか、役に立たない。トンチンカンカーナビになる。
さもなければ、かなりいい加減で、ざっくりと大ざっぱだ。まったく持ち主に似やがって!
昨日、中央道諏訪南インターを下りて、カナディアンファームの住所を入力して向かってたら、とんでもない所をグルグル走らされた。最終的には、遭遇した村人に尋ねるというオーソドックスな質疑応答方式で到着出来たのだった。
昨晩、ホテルに到着した後も、カーナビのヤツは一晩中目的地を抱えたままでいたのだろう。
今も「およそ30m先右方向です」などとタワケタことを口ばしり、クマさんちと離れた場所にずんずん誘導しようとしている。
だが、3人ともホテルを出てからカーナビにはカンペキに「シカト」体制だ。全くの無視で聞いていない。聞こえない。
まっ、俺が目的地の取り消し操作を知らない、というのが一番の原因ではあるが・・・・・・

代わって、類ちゃんがスマホでナビをしてくれる。
こっちの音声は大スキ!
「次の信号左折です!」
「はーい!」
「突き当り右に曲がります!」
「はいはーい!」
「しばらくまっすぐでーす!」
「ウ~ン・・・、ボクはクネクネしちゃう!」

「このへんです!」
類ちゃんが、ナビ上での到着を告げた。
まっすぐな舗装道路。
左手にはずっと林が続き、所どころに民家が見える。
時刻は10時をちょっと回ってる。
クマさんには、途中で2度ほど通過地点のメールを入れたのだが返信はなく、電話も応答なしなので、いきなりの突撃侵入になってしまった。
道路から家までは40~50mくらい。人は通らず、車は時々しか走ってない。
俺が偵察隊になって、車を降りた。
郵便ポストを見るとなにも書いていない。
さらに先へ進むと、車が2台止まっている。リアドアを見ると、「原発いらない!」のステッカーが貼ってある。
「おぉ、ここだな」100%の確信で車中の二人に合図を送り、家に近づく。
だが、人の気配がない。大きな犬小屋はからっぽで、二羽の鶏が地面をつついているだけだ。
「おはようございます」「ごめんください・・・」反応がない。
確信は80%くらいに下がってきた。
さらに3回ほど繰り返したら、若いおなごが出てきた。
「すちゃらかしゃいにんぐの日川といいます。ここはS原さんのお宅ですか?」
おなごは、「はい。そうです」と言いながら、頭上に?マークを3個くらい浮かばせている・・・
すると、「あっ、じゅんちゃん!」2階から女性の声が・・・
「おぉ、ちえちゃん!」
「あれ? 夕方来るって聞いたよ」
「ううん、夕方には東京に帰るんだよ」
類ちゃんは今夜、CD製作の録音が待っているので、早めに東京に戻らなくてはならないのだ。
「えぇ! そうなの」
ちえちゃんも?マークを5個くらい浮かべて下りてきた。
どうやら伝言ゲームの典型的食い違い変換パターンが行なわれていたようだ。
うーちゃんと類ちゃんもやって来て、挨拶と紹介をしてS原家に上がらせてもらう。
クマさんとはのみ亭30thパーティーとかで会っているが、ちえちゃんとは30年ぶりぐらいか・・・。懐かしいゼ・・・。
おなご=ほーほちゃんとは初対面だ。で、いきなり娘姿なのだ。
ちえちゃんは、昨夜近くの山で行なわれた「たき火コンサート」に行き、ずぶ濡れで夜中の2時過ぎに帰宅したそうだ。そして現在、睡眠不足気味で俺たちにお茶を入れてくれている。
なにからなにまで、すんません。
しばらくして、クマさんが犬の散歩から帰ってきた。
改めて、お茶とコーヒーで再会の乾杯をする。
昔話、積もった話、友人たちのワルクチと近況報告・・・、あとからあとから話題が出てくる。
そして、「突然だったから、何もないの」と言いながら、ケーキから始まりパンを焼き、ご飯も炊いてくれて、テーブルにごちそうがドンドン出てくる。
クマさんもちえちゃんも、料理が上手で手際がいい。
クマさんは、あちこちからパンの注文をもらっているらしく、いくつも焼いていた。
クマさんのパンは、ずっしりとして、いい香りで、やさしい甘みがあって、とてもおいしい。
作り手の人柄が出ているパンです。

クマさんのパン。おいしいよ

ほーほちゃん作成のチラシ

家にも味がある

大僧正みたいなライル


庭に二羽のただしいニワトリ

ほーほちゃんは、類ちゃんのアコーに興味津々で、ボタンの配列や左手の押さえ方とかを教えてもらっている。
教え方と呑み込みとがいいのだろう。音がどんどん滑らかになっていく。
若いもんの出す音というのは、いいものだ。
しばらくすると、クマさんが連絡したのか、ご近所の呑み友達(?)がやってきた。
なみさんは二人の娘のお母さん。
ちょっと遅れてセメント工事中のS水さんとS道さん。
そして、クマさんが嬉しそうに「演奏聞かせてよ」と言ってる。
相変わらず仕事が早い。


いつの日かすちゃらかでやりましょう

というワケで、ごちそうのお礼に、歌でお返しということになり、たちまちクマさん宅コンサートとなった。
お客さんは、クマさん一家3名。なみさん・S水さん・S道さんの3名。それとたまたまクマさんにパソコンの操作を教えてもらいに来た近所の青年。
こちらは、類ちゃんアコー・俺ギター・うーちゃんコーラスで、すちゃらか「なるほー」バンドだ。
「なるほー」は、疑問が解決され納得した時に出る類ちゃんのフレーズで、じわじわとオヤジたちにも浸透しかけているのだ。
では、「初めまして、すちゃらかしゃいにんぐです。」
「スターダスト ラブ」「ビァ樽ワルツ」そして、クマさんのリクエストで「サイフはカラッポ」の3曲を演奏し、拍手をたくさんいただいた。
ん・・・、たまらなく幸せな一瞬!

幸せな時が流れていく。 撮影=クマさん

                                         武川リラックスタイム 撮影=クマさん
(スマホだと再生できない場合があるのでURLを貼ります。再生できない場合はこちらでご覧下さい。https://www.youtube.com/watch?v=l44kH33_HG4

一番年配のS道さんは元大工さんで、この間までアンティーク店をやっていたそうだ。
クマさん宅の隣に住んでいて、現在一人で家を建築中だという。
クマさんが、「見に入ってごらんよ」と言うので、ちょっとお邪魔して内から外から拝見させてもらった。
家の中は、廃材をたっぷり使い、床も柱もガッシリしてあたたかい。調度品のひとつひとつまで職人好みの材料を使い、どこを見てもため息が出るほど心憎い作りになっている。
むき出しのゴツイ梁が、「どうだ!」と我々を見下ろしている。
「はい! 参りました!」
九割がた完成じゃないかと思ったが、まだまだこれからだと言う。時間をかけて、楽しみながら進めているようだ。
粋なセンスと洒落たあそびゴコロがいたる所に収まっていて、木とモノづくりを愛する人の静かな主張が溢れているステキな家だった。
いいなぁ・・・。いくつになっても自分の好きなもの、目指すものをやり続ける男ってステキだなぁ・・・。あっ、女の人もネ。

お宅拝見から帰る3人 
撮影=類ちゃん

お宅拝見から帰る4人。 撮影=類ちゃん

さぁ、そろそろ帰りの時間がせまってきた。
クマさんとちえちゃんから、今度はちゃんとセットするので、改めてすちゃらかライブをやってほしい。と、ナイスな提案をいただいた。
「オーケイ ナウ! 必ずやろうよ。 また来るぜ!」
記念写真を撮り、サヨナラを交わし、再びの日を約束した。

また来るよ! 左から、淳・クマさん・ライル・類ちゃん・ちえちゃん・ズッキ・うーちゃん 撮影=ほーほちゃん

帰路の中央道は日曜日の行楽帰り渋滞と重なったが、医療関係から天文学まで、類ちゃんの尽きないボケ話で、苦も無く乗り越えた。
まん丸お月さんも空にいいカンジだ。
高井戸で高速を下り、環八に入る手前で、CDをJIM KWESKIN JUG BAND の「UKELELE LADY」に切り換えた。ウクレレで始まった旅は、ウクレレで終わらそう。

   ♪If you like ukulele lady
        Ukulele lady like you~♪

19時。世田谷到着。
出迎えてくれたナビ、・・・いいや、「なびー」に報告をし、「おつかれ」と「楽しかったネ」を何度も交わし合い、「すちゃらかしゃいにんぐ長野山梨デビュー」の旅は終了したのだった。


《営業2課 じゅんぼう》