2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2014年6月25日水曜日

世界は馬鹿で出来てる エピソード3

罪なやつさ Ah  PACIFIC 碧く燃える海♬


後、何回やろ(°_°)

1978年。二十歳。前半、成田方面での余りに過酷な日々に疲れたあたいは、普通の青春が
送りたーい、女子と仲良くなりたーいって考えたのよ。で夏休みのバイトを下心満載で探した
の。ネットなんか無い時代よ。紙媒体のアルバイトニュースよ。したら『太陽の下で楽しく働
こう♥︎海の家』ってあったのよ。夏→海→女子→幸福って感じ。速攻で電話したわん。なんか
歌舞伎町に有る税理士事務所のおじさんが、別荘持ってる千葉のHで漁師の友達と毎年、海の家
やってるって。歌舞伎町→ムフフ→千葉の海→エヘヘ→幸福って繋がったわん。で事務所に面接
行ったのよ。見るからに胡散臭いおじさんだったのよ。オールバックのテカテカアタマ。縦縞の
スーツに金ピカの時計。でKO大学出身でモデル事務所やキャバレーなんかの顧問だって。あたい
は即決したわ。このオヤジについていくって。一緒に採用されたのが、W大の真面目君。美容学
校のナンパ君よ。で、オヤジがあび太君は、ジュークボックスに入れるレコード選んでね。歌謡
曲だけよ。あと橋幸夫は外さないで。っておっしゃるの。あたいは、「夏のお嬢さん」榊原郁恵
「勝手にシンドバット」サザン「時間よ止まれ」矢沢永吉「あんたのバラード」世良公則などな
どそして「雨の中の二人」橋幸夫も入れたわよん。準備万端、いざH海岸に出発進行〜。着いた
所は漁港の隣のショボい海岸よ。そこにトタン屋根に丸太を白く塗った掘っ建て小屋が在ったの
よ。でも屋号はカタカナよ。うわって思ったけど、海と太陽が有れば何とかなんべえって気を取
り直して働き始めたワン。あたいはラーメン、カレー、焼きそばなどの調理担当よ。ナンパ君が
外回り、真面目君はドリンク担当よん。ところが、真面目君は初日の夕方に「ぼくには向いてま
せん」って帰ってしまったのよ。早い。ナンパ君は見た目と口の上手さで、速攻で彼女作ってる
わん。これも早い。土日は家族連れが多くて大忙しよ。「兄ちゃん、チャーシュー入ってねえぞ。
カレーがぬるいぞ」怒られてばっかりよん。でも平日はのどかなもんよ。その上H海岸には、
大企業の保養所が沢山在るのよ。D銀行、Kデパート、K化粧品などなど。だからおねえさん達が
毎日、2〜3人のグループで来るの。あたいは夜8時頃まで営業して、勝手にBARタイムにして
たの。カセットテープに渋めの音楽入れてバッチリよ。すると「あび太君、あたしの部屋来る?
ウッフン」みたいな展開よ。以下自主規制。


すかしてんじゃね~よ(o_0)

あたしの泊まってたのは、漁師が経営する民宿よ。で隣の部屋に長期滞在してた御夫婦がおった
の。ある日おじさんに、兄ちゃん呑みに来いよって誘われて部屋に入ったの。でウスウス気が付
いていたんだげど、おじさんは業界人なのよ。労災で指が何本か無いし、シャツの袖口からは、
プリント柄出てるし。長いお勤めから出て来たばっかりで静養に来てるのよ。でもとっても良い
人だったのよ。「あび太君よ、男ってのわよ‥‥」などなど楽しい話が沢山。最後に困ったら
連絡くれって、名刺頂いたの。カチットした紙に、会社のロゴと◯◯会◯◯興業、理事って書い
て在ったわよん。

そんな絶好調のムフフな日々が続いておったのわ。そんで、地元のチョイとスケバン入った女子
高生と仲良く成ったのよ。である日、女子が「付き合って一週間だね」って言うのよ。「は?意
味わかんね。アホか」って言い返したのよ。したら「ふざけんなよ。覚えてろよ」って捨てゼリ
フ残して去って行ったわ。超ラッキー。でその夜よ。遠くの方から、ゴットファーザーのテーマ
曲のホーンの音と爆音が民宿に近づいて来るの。玄関の前に止まると、リーゼント頭の男三人が
木刀持って降りて来たワン。おう、後ろに彼女もおるやん。「あび太出て来い」って叫んでるの
よ。やべえってビビりながら玄関にあったバット持って出て行ったわよん。で、ゴチャゴチャ揉
めてたら、あのおじさんが上半身裸で出て来たのよ。背中の観音様が輝いていたわよん。「わし
の身内に用があるんか。話し合いで済ませろ」って一言。ヤンキーもビビってたわよん。遠山の
金さんみたいだわん。でで、兄ちゃんと海岸で静かに会談よ。「妹が煩いから付き合えよ」「あ
たいは身体弱いから無理よん」などなどやり取りして最後に「東京から来る女子紹介するよん」
「おっ、OK」って事で会談成立よん。長い物には巻かれろ路線よ。その後は、頭の弱そうな女子
は彼らに紹介して、お互いウインウインな関係で夏が終わったわよん。激しい夏休みだったのワン。

9月に成って、仲良く成った女子大生から電話があったのよ。「金持ちの友達の家で女子はだけ
でパーティやるから来て〜❤︎」バイクでぶっ飛んで行ったわん。K市に在るその家は確かに豪邸
だったのよ。船長の娘のふっとちょの家よん。親が留守だってんで、ふっとちょ+美人三人で
ワクワクパーティよん。こんな幸福があるんかしら、竜宮城かしらん。で盛りがってくると、
一人が気持ち悪いから他の部屋で横になるから連れってて言うのよ。で抱えて行って扉を閉める
と、いきなり‥‥以下自主規制。
で廊下に出ると他の娘が待ってて、あたしも‥‥以下自主規制 でもふっとちょだけは‥‥以下
自主規制

大昔の真夏の夜の夢やで


お〜(・・;)
♬この1曲

時間よ止まれー矢沢永吉
   
       作詞ー山川啓介
           作曲ー矢沢永吉


罪なやつさ Ah PACIFIC  碧く燃える海
どうやら おれの負けだぜ
まぶた閉じよう
夏の日の恋なんて 幻と笑いながら
この女に賭ける

汗をかいたグラスの 冷えたジンより
光る肌の香りが 俺を酔わせる
幻で かまわない
時間よ 止まれ
生命の めまいの中で


女子嫌い  阿鼻子

2014年6月13日金曜日

BROTHER MOON & SISTER SUN(後編)

Night and day, you are the one
Only you beneath the moon or under the sun
Whether near to me, or far
Its no matter darling where you are
I think of you
Day and Night
―――夜も昼も/Cole Porter

さて、前編をご覧いただいた方には、あの続きかよ! と呆れられ、お読みでない方にはナンダ
ヨコレ? と、どちらにしても呆れられる「すちゃらかしゃいにんぐ/ケッコウケダラケだぶるへっ
た―ライブ」報告の後編です。

 昼の学芸大学味噌づくりライブで、すっかり出来上がってしまった野菜行商隊的彷徨楽団は、
夕暮れの街を「原っぱまつり」の会場をめざし、フラフラ行進しています。
いつもなら生ビールで「おつかれ~!」を言いつつ、ライブのコーフンを反芻しながらクール
ダウンしていくのだけど、本日はもう一仕事だ。
会場になんとかたどり着き、スタッフに到着を告げる。あんど、出演者たちにも「よろすく~・・・」
のアイサツをする。
出演BANDは、すちゃらかしゃいにんぐの他、「光玄/FROM神戸」「黄バンド(正式な名前は忘
れた。すんません。)」、それともう二組くらいの五組くらいだったと思う。
タシカ、2階がコンサート会場になっていて、畳敷き40畳くらいの大広間。こじんまりしたステージ
がこしらえてあった。(ここらへんももかなりアイマイ。すんません。)
昼間は野外宴会だったが、こちらは100%正式宴会ムードのセッティングになっている。
すちゃらかは、三番手くらいだったかなぁ・・・?
そのあとが光玄で、最後が黄バンドだったと思う。
光玄はソロで、黄バンドは黄秀彦(ファン スオン。この当時は黄祐哲と名乗っていたと思う。
違っていたらごめんなさい。)がチャンゴを叩き、あと二人が加わり、三人構成バンドでコリアン
サウンドを演奏する。

 で、すちゃらかの演奏なんだけど、演奏曲の多くは昼間の学芸大味噌づくりとカブっているので、
どうにも新鮮味に欠ける。つまり、さっきやってた曲をまたやるわけだ。
いつものように1曲目「SUMMERTIME JUMP」でゴキゲンを伺う。
ん~・・・楽っちゃ楽だが、どこに集中のポイントを持って行っていいのか、戸惑ってしまい、テン
ションが生煮え状態だ。
おすすめご当地ラーメンのハシゴをしているみたいで、なんともぼやけた演奏になっていたに違
いない。
同じ曲を一日に何度も歌う難しさを感じた。ホント。
とはいえ、結果的にはそんなメンバーの杞憂はどこ吹く風となった。
春先より発売した、すちゃらかしゃいにんぐのカセットテープ/「STREET JUMP」
を買って聴いてくれた方が沢山来てくれてたようで、ステージに上がった時には「待ってました!」
演奏中には手拍子と野次の飛礫。
そして、演奏が終わるたびに「やぁやぁやぁ!」の拍手と、手を抜かない迎え方だったのだ。
単純単細胞バンドは、乗りやすいしノセラレヤスイ。そして無駄なことはすぐに忘れる。
気分のいいまま、あっという間に7曲をすっ飛ばした。
「では、最後の曲です。ディキシーでいこう~!」と、これですちゃらか終了と紹介したところ、
「ちょっと待った! 俺にも叩かせろ~!」と黄秀彦が飛び出してきた。
「さっきから、入りたくてウズウズしてたんだ。」とウレシイお言葉。んなら、「おーけいなう」
ってことでチャンゴが合体し、ニューオリンズにキムチフレバーが加わった味つけで大騒ぎ、
会場も「行け~!」ってな感じでこっちも大騒ぎとなったのだ。
音が出りゃなんでもOK!
楽しむのに理由はいらない。

その後、光玄が渋くブルースを聴かせ、黄バンドがもうひと盛り上がりさせ、会場中たくさんの
笑顔で和やかにコンサートは終了した。
となりゃ、打ち上げだ!
出演者とスタッフ&その他の人々で、近くの居酒屋に乗り込んだ。
すちゃらかもメンバーで乾杯。
共演者と乾杯。
スタッフと乾杯。
その他いろいろな人と乾杯をして、うまい酒で盛り上がる。
すると、黄オヤジから、「演奏はまぁいいとして、バンドの名前がヒキョウやわ。こいつらナニ
考えているか一発でわかったわ。忘れられんわ!」と、妙な分析とオコトバをいただいてしまっ
たのだ。

上之原エキサイティングホール

●この日の演奏曲●
1.SUMMERTIME JUMP
2.サイバイサ
3.温泉旅行
4.メリーの手紙
5.マンドリンマン
6.ラスト カゥボーイ ソング
7.ハーバーナイト
8.ディキシーでいこう

 *文中、敬称は省略させていただきました。



《営業2課 じゅんぼう》

2014年6月9日月曜日

かわいてないからいやだ

どういう理由だったかは思い出せない。朝、保育園に行く時に、保育園用のうわっぱりが乾いて
いなかった。たぶん前日の夜に洗ったんだろう。朝には乾くからって母ちゃんが言ったのに、朝
になってもまだ湿っていた。そんなの着て行きたくないと言って、保育園を休んだ。
休んだからといって、何かする事があるわけはない。まだU字溝が埋まっていない、道路の横の
小川みたいな溝に物を流してみたり、庭の木の根っこの間の蜘蛛を捕まえたり、向かいの空き地
に物を投げたり、一人ぶつぶつ言いながら遊んでいた。

夕方近くになって、気が付くと向こうの方からぞろぞろと、保育園のうわっぱりを着た子たちが
うちの方へやってくる。あんちゃん家の垣根に隠れて、そっと見ていると、同じ組の子たちだった。

シンゾウとアケミちゃんがいた。二人はきたさんや商店街の入り口近くに家があって、近所なの
でいつも一緒に保育園に来ていた。二十歳くらいの時にバウル―という喫茶店で、営業が終わっ
た後にその店の先輩や常連でよく飲んでいた。その時にたまたまマスターが〇〇アケミさんです
と紹介した時に、おもわずもしかして〇〇保育園に通っていたアケミちゃんと聞いたらまさしく
同じ組だったアケミちゃんだった。保育園の時の面影がしっかり残っていた。

イイヅカもいた。イイヅカはお母さんが有楽町で働いていると言っていた。フランク永井の「有
楽町であいましょう」が好きだったので、きっとティールームというとこで働いているんだろう
と勝手に思っていた。

コウモトもいた。コウモトは小学校はちがう学校になったけど、三年生のころ高木神社のそばで
見た時にすぐにわかった。中学校は一緒になり、同じ剣道部にはいったが小さい時と同じ大きな
顔をしていたので、その時もすぐにわかった。

オノダもいた。オノダは家の裏の方のきたさんや小学校よりもっと向こうの団地に住んでいた。
一度そのそばにいなごを取りにいって、ついでに家の前であそんだ事があった。お弁当でカレー
を持って来たのをみたときはすごくびっくりした。

ケンチャンとマサキもいた。マサキはケンチャン家の向かいの駄菓子屋で、ケンチャンは日立の
社宅に住んでいた。ある時、保育園で先生がそれではみなさんおえかきの時間ですと言って、画
用紙をくばった。どんなえをかいたらいいのかわからないのでまわりをみた。ケンチャンはこの間
おとうさんと船に乗ったと言って船のえをかいていた。船とか書いてみたいなとおもったけど、
乗った事がないからかけない。画用紙にTを横にした線を引いて色をつけた。その日の帰りの前
に、園長先生によばれた。画用紙を前にしてこわいかおで聞かれた「これはなんですか?」
「もようですか?」もようって何か知らなかった。けど、「はい、もようです」っていったら、わかりまし
たといって帰してくれた。それからはおえかきのじかんには、いつもケンチャンがかいた船のえを
まねしてかいていた。

同じ組の子はみんないたみたいだった。家の横をとおってうらの橋を渡って、ぐるっとまわって
川沿いに歩いていった。川のこちらがわは家がなかったのでよく見えた。けれど、途中で見えなく
なった。

母ちゃんが帰って来たので、保育園の子たちがみんなで川の向こうへ行ったことをはなした。
そしたら「あんた知らなかったの。Sくんがトラックにひかれて死んじゃったんだよ」
「それでみんなでSくんの家にいったんじゃないの」

おもわず大きな声で泣き出してしまった。理由はわからない。Sくんがしんじゃったからな
のか、うわっぱりがかわいてないからといってずる休みをしたからなのか、みんながササキくん
におわかれしにいったのにいっしょにいかれなかったからなのか、そういうのがかさなったうし
ろめたさなのか。


開閉商事 営業一課  すちゃらか・たまらん・うーたろう

2014年6月4日水曜日

駄目虎から勝鯉へ

 揺れ動くオヤジの心




子供の頃家の前に東京球場が出来た。低層住宅だらけの煤けた下町に突然のように近代的な
コンクリート製のスタジアムが建った。ナイターの照明が点くと眩しくて光の球場などと呼ばれて
いた。外野席の下にはボーリング場とレストランが有り、いつも賑わっていた。下駄履きオヤジが
裸足でボーリングシューズに履き替えてたのが笑える。シーズンオフには座席の上に一周400
メートルのスケートリンクが出来、一年中賑わっていた。フェンスを乗り越えタダでよく見てた
が、まわりの大人な達もおおらかだった。大毎オリオンズの本拠地だったが、僕らちびっこ達は
巨人と阪神位しか知らなかった。でも目の前にプロ野球の球場が在るのは、何故か奮した。


                             左門豊作や


少年マガジンに巨人の星の連載が始まり、ジャイアンツは黄金のV9が始まる頃だった。みんな野
球に夢中に成った。日が暮れる迄、空き地や公園で白球を追った。まわりの金持の坊ちゃん達は、リトルリーグに入ったりジュニアオリオンズの会員に成ったりしていた。その頃から拗ねていた
僕は、長嶋は大好きだったが巨人が嫌いだったので、自分達のチーム名は、荒川タイガースにし
た。江夏と田淵のバッテリーに痺れていたから。みんな貧乏なので道具やユニホームが揃わず大
変だった。友達のKくんはTシャツにお母さんがマジックで背番号書いて有り、数字が曲がってい
たのでみんなゲラゲラ笑っていた。僕はK君のお母さんが障害者なのを知っていたので、笑わず
でも誰にも告げなかった。クラスのHさんのお母さんがスポーツ用品店をやって居たので、新品
の軟球を『あび太君、勉強も野球も頑張るのよって』笑顔で1ダースプレゼントしてくれた。
とっても嬉しかった。が、その半年後にお母さんは、千住大橋の上から隅田川に身を投げてしま
った。そのあと僕等は、橋の上に行って川面を眺めて見た。誰かが『大人っていろんな事がある
のかな?』呟いた。僕は今でも、真白い新品の軟球を見るとお母さんの細い手と笑顔を思い出す。



腕組みしてあび太に命令する石永祐子


68年のメキシコオリンピックのサッカーで日本が銅メダル獲得した後、サッカーブームが僕等
にも押し寄せて来た。大好きだった石永裕子が、『これからはサッカーだよね。カッコイイもん』
と言うのを聞いて速攻でサッカーボールを買いに走った。変わり身の早さと流行り物好きな僕な
のです。中学に行ってサッカー部に入った。でも足が早かったので野球部にも呼ばれて試合には
出てた。別の中学に行った石永裕子がたまに練習をフェンスの間から見に来てた。僕はこの時ば
かりは一所懸命やった。気が付いていない振りして、カッコつけてシュートを放ち外しつつ転ん
だりしていた。高校生になると、暴徒部に入ったりバイク乗ったり女子のケツ追っかけたりして
スポーツどころでは無くなった。でもまだプロ野球中継が盛んだったので、親父のキリンビール
ちょろまかして、ナイター見てたっけ。


                                遠い昔やな


大人に成っても阪神の試合が東京で在る時は、後楽園球場や神宮球場にはよく行った。とりわけ
神宮の外野席で、ビール片手に六甲おろしを唄うのは最高の気分だった。特に85年に阪神タイ
ガースが日本一に成った年は凄っかった。ニュースで見る関西の熱狂の中に混ざりたくて、甲子
園球場まで行った。応援も凄いし本当にタイガース柄の車を見た時には興奮した。しかしこの時
をピークにだんだん野球熱が冷めていった。人生が忙しいせいもあったが。子供は男子ばかり5
人居るんだが、野球やったのは一人、後はみんなサッカーだ。野球は人気ないみたいだ。保育園
で知合いになったお父さんは、甲子園に出場経験が有り大学でも野球部だったが、普通にサラリ
ーマンやってるし。


先ずは形から


そんな僕がここ2年位、相棒のSIBUヤーマンと何度か広島カープの試合を見に行っている内に、
だんだんカープに嵌まってしまった。監督はイマイチだけど選手がイイ。どっかの大球団と違い
自分の処で選手を育てるシステムが有る。若手選手にはイケメンも多いし。これ目当てのカープ
女子がブームで球場が華やかでとても楽しい。点が入って万歳してるが、今なんで点が入ったの
て言ってて可愛いい。応援もまた素晴らしい。郷土愛、カープ愛に溢れワクワクする。これぞ農
耕稲作民と思われる、何かやる時は集まってやる、一糸乱れぬ踊りと応援歌。対戦相手のピッチ
ャーが落ち着かなくてイライラするらしい。今年久し振りにプロ野球年鑑買って毎日眺めている。
みんなにニワカカープファンと呼ばれているが、もう5試合も球場行ったし。のみ亭であんまり
面白いって演説してたら、神宮に行きたいって人も増えたし。今度ニワカ応援団連れて神宮球場
行くんだ。見ず知らずのカープのユニホーム着たお姉さん達とも焼き鳥屋で盛り上がったし。7
月には広島球場に2連チャンで見に行くんだ。久し振りにプロ野球が楽しいぞ。誰かが金儲けを
企んでいるのだろうが、スポーツ見て騒いだり、アイドルを追っかけたり出来る世の中の方が良
いのかも知れない。


俄かカープ女子



PS  もうすぐサムライブルーのシャツ着て、ザック采配について演説してる自分が見える。
  たまりゃん。


万歳!万歳!万歳!



楽しい1曲♬

宮島さん    (得点すると唄う応援歌)

宮島さんの神主が
(ワッショイ ワッショイ)
おみくじ引いて申すには
(ワッショイ ワッショイ)
今日もカープは

勝ち!勝ち!勝ち!勝ち!

万歳!万歳!万歳!


これでいいのだ!天才あび太