大きく分けると平凡パンチ・プレイボーイ系おねーさま方面(小山ルミとか原田糸子とか小川
知子とか西尾三枝子とか・・・)と新譜ジャーナル・フォークリポート系アニキ方面のふたつだっ
た。男をアイドルと呼ぶかどうかは、まぁこの際置いといて・・・。
高校1年の秋、中学生時代に新聞配達のアルバイトで知り合った大学生のKちゃんにスナッ
ク(ん~・・・昭和!)へ連れていってもらい、ゲロゲロに飲まされヨレヨレになった俺の耳に有線
放送から流れてきたのが、岡林信康の「山谷ブルース」だった。
ショックだった。いいほうでね。目から鱗とか背びれとか浮き袋とか大放出だった。それまで俺
の音楽を育ててくれたのは、加山雄三とビートルズ・・・、その他、歌謡曲やらいわゆる洋楽やら
だった。でも・・・・・・
「こんな唄もあるんだ!」「こんな事も歌っていいんだ・・・。」って、15歳の多感クンはジャパニ
ーズフォークソングの洗礼を受けたのさ。(これ以前に、高石友也やフォーククルセダースは聴
いてはいたが、これほどではなかった・・・。)
1968年ってのは、俺の内でも外でもいろんなことがあった年だ。
前年の暮れに父親が死んで、進学するかしないかの末の高校受験があった。
東大で闘争が始まり、三里塚では反対運動が激化し、ベトナムでは泥沼に果てしなく突入し
ていった。 反戦・反帝・デモ・投石・シュプレヒコール・・・、街が都市が国がザワザワし、沸点が
沸点を呼んでいた。
山谷ブルースの夜から2ケ月ぐらい後、俺はアルバイトで金を貯め、フォークギター(その当時
はアコースティックという言い方はしてなかった。)を買った。そして、エレキギター(中学2年の
時、お年玉とアルバイトで買ったのサ。)からフォークギターに持ち替え、フォークソングにのめ
り込んでいった。(ディランと逆パターンだ。)
やがて、好きなグループの唄を歌うことから、自分で作った唄を歌うことの快感に夢中に
なっていった。
自分の事も周りや社会の事も、感じたままを自分の言葉で歌う。
頭の中のグズグズしてるものが吐き出され、消化され、結晶していった。
中川五郎という名前を知ったのは、間もなくだった。
他のクラスにIというギターだけはウマい奴がいて、そいつが頭の中に「腰まで泥まみれ/
曲:ピート シーガー・詞:中川五郎」の歌詞もコードも全部入れていた。一回聴いて忘れられな
い状態になった俺は、Iを見つけると聴かせろとセガムノダガ、Iはもったいぶって5回に一度
ぐらいしか歌ってくれない。禁断症状が続いた。レコードを買えたのは、ずっと後だった。
―――まぁ、そこン所は昔々の伝承芸というものが、口から口、耳から耳・・・と、全神経
を集中し、何十回何百回と聞きながら覚えていって、完成させていったのだから、何ともいえ
ないのだが・・・。
「受験生ブルース」や「主婦のブルース」は聴いていた。知っていた。でも高石友也という
名前が強すぎて、作者を知ったのは随分後だった。愚かである。
中川五郎って人の唄づくりは、問題点を指摘し、自分の主張を突き刺す。って、いわゆる
プロテストソングではあるんだけど、他の歌い手たちとはちょっと違っていた。俺には。
なんていうのかなぁ・・・。毒はたっぷり詰まってるけど、ひねりがあるっていうか、ユーモアの
センスがいいんだなぁ・・・。人に対する優しさを知ってる人だね。
抵抗する姿勢は崩さないけど、ガチガチではないんだ。柔軟な石頭。幅ある反骨ってとこだ
ろうか?
それでもってシャイなんだな。高田渡にも同じものを感じる。
訳詩とかもするんだけど、五郎節が・・・、寿司でいうと、ほどほどにきつめのワサビを効
かせているってカンジ。原曲は損なわず、言いたいことは言うんだ。サラリ&チクリとね。
イカスだろう?
あっ! ここんとこはこの頃(俺の高校生時代)のことネ。プロテストソングだけではなく、
いろんな唄を歌っていて、ラブソングもいっぱい歌っている。どんなテーマでも、あたりまえ
のことをストレートに伝えてくれるんだ。唄を楽しんで、それでもって大事にしてるってカン
ジ! だな。
2013年1月8日MANDA-LA2で会った中川五郎は、愉快で楽しい酔っ払いオヤジだった。
お互いのリハーサルが終わって出番までの間、一緒に隣の酒場で呑んで、演奏にも混ぜて
もらい弾いて歌って、打ち上げでまた一緒に呑んで、馬鹿っ話で笑い転げた。俺の「会えて
よかったステキな人たち人名録」にまた一人ウレシイ名前を加えることができたってワケさ。
そうそう・・・、自身のFACE BOOKにも、すちゃらかの事紹介してくれていて、「うめちゃん」
のyou tubeもUPしてくれていた。リハーサル前に挨拶した時、「僕の高校時代のアイドルでした」
って言ったら、「それはうめちゃんでしょ!」って返してくれた。ひぇ~、なんてシアワセなオレ!!!
血圧上昇中 photo Ku-chan |
そして、レコードジャケットにサインをおねだりしたら、自画像といっしょに「歌い続けて
45年」って書いてくれた。おぉ、GREAT!!
ン? すちゃらか五郎??? |
最近ではライブ活動はもちろん、原発や東電なんかの反対運動で、よく顔や名前を拝見す
る。いつまでも戦っていてほしい。歌っていてほしい男だ。
そして、いつまでもあこがれていたい。
「しっかし、今でもこの国のバカは『進め!』って叫んでるんだな。」
んで、個人的な話になるがMANDA-LA2の翌日、俺は60歳になった。
60年の歳月が俺の体内を通過し、芥となっていったわけだが、「60年生きてきても、頭の中は
中学生のままなんだ。」こっちはこっちで困ったもんだネ。
56 60 63 59 photo Ku-chan |
《営業2課 じゅんぼう》