ある夏の日の午後だった。ほとんど毎日のように通っていた、駅の近くのコーヒー専門店「B」
を出て、どうしようかと考えた。Gパンのポケットには千円札と硬貨が何枚かあった。「行って
みようか」千代田線下りに乗って、松戸駅で赤電に乗り換えた。馬橋、北小金、柏と駅が過ぎて
ゆく。田んぼの稲がみどりの葉を風で波立たせている。何度も何度も。ずっと見ていた。
T駅に着いた時は夕方近くだったが、まだ明るかった。しかし、T寺行きは最終バスになって
いた。このバスに乗って終点まで行かないといけない。電車に乗っている時も何度か雨が窓を
たたいたが、終点のT寺に行くまでの山道の途中でも、また、雨がぱらついた。
終点のT寺に着いた時は、午後の7時過ぎくらいだったと思う。停留所を降りて、バスが行って
しまうと、全くの暗闇になってしまった。「あかん!」さっき小雨が降ったから雲はまだ残って
いて、あげくに停留所もその近辺も灯りがない。本当に真っ暗。大体の方向と道はわかるが、
全然周りが見えない。バスに乗っている時は車内の明かり、停留所に着いた時もヘッドライトと
車内の明かりがあったから、気がつかなかった。星ひとつなく、当然月もない、街灯もない、生
まれてはじめての暗闇。おそるおそる足を出すが、足もとも見えない、足を出す自信がもてな
い。水溜りに足が入った。この方向でいいはずで、50メートルも行けば左手に鎮守の森があっ
て、そこから左に曲がって、あとは一本道。途中人家があって、街灯もあるはず。しかし、見えない。ちょっとまて、水溜りがあった。地面に顔を寄せて水溜りの方を見ると。見えた。水溜りの
水が光っている。全くの暗闇と思ったが、水溜りの表面がうすく光っているのを見て、気力が戻った。このままここにいられない。行くしかない。大体まだ夕方の7時半位、こんな時間におたお
たしていられるか。でも、見えへん。ゆっくりゆっくり進んで行った。30分か1時間かかかった
ような気がするくらいゆっくりと進んだ。鎮守の森の横まで来ると、その先は一面の田んぼで
かすかに水が光っている。左手を見ると、やはり100メートル位行ったところに、人家と街灯が
あった。街灯を目印に暗い道を歩いた。右手は田んぼ左手は小川のようなどぶになっていて、
道の真ん中を歩かないとどちらかに落ちるかもしれない。目指すはこの道を道なりに進んで
行った先の大きな煙突がある左側の家。
「おう、こんばんわ」ようやく目的の家について戸をあけると、「うん?どうした?」
「あそびにきた」「そうか、茶のむか?」で、足をのばして、一服。
Oさんは以前は東京のどこかに住んでいたのだが、家庭の事情で二人の子の内、下の子を
引き取って、O村の実家に住むようになったのだが。時々東京に出て来る用事があった時の
帰りに、途中下車して「B]でコーヒーを飲むようになった。「B]のマスターやその友人達と親しく
話すようになった頃、「焼き物をやろうと思う」と言って、笠間で修業を始め、朝7時前から夜
10時過ぎまでろくろを回した。
ある時、電話がかかって来て「おまえひまか?」「あ、うん、なにもしてないけど」
「窯作るんだけど手伝ってくれるか?」「分かった、じゃ今から行く」で、T駅で待ち合わせ
て、車で実家に行くと、益子の窯作りの親方と手伝いの人がいて、夕飯を食いながら顔を会わ
せ挨拶をすると胡散臭そうに睨まれた。う~ん、やっぱりなあ。で、めしが終わってOさんの
部屋へいった時、「Oさん、髪切ってくれるか?」「えっ?いいの?」「うん」背中まであった髪を
裁ちばさみで切ってもらった。翌朝、朝飯の時二人ともビックリしていたが何も言わなかった。
日曜日も休まないで、ピッタリ2週間働いた。仕事は竹三本で作った櫓から吊るした紐に網を
つけて、その網に砂を入れてひたすら濾す。その砂を使ってモルタルを作って、親方とかが
作業しやすい場所に持って行く、同じようにレンガを運ぶ。一日何も言わず黙々と働いた。ある
日、親方が10時半の休みの時に「誰か何か話すと思ったら、8時から何も言わねえなあ」と笑っ
ていた。どかんで煙突を作った時は腕の力の無さをつくづく感じた。山から杉の木を切って来て
櫓を組んでから、中にどかんを積んでいくのだけど。四人で一本ずつ柱を担当して、横木を
縛ってはそれに乗ってまたその上に横木を置いて縛ってというふうに上へ向かって行くんだけ
ど、自分の所だけどんどん下がっていく。結果櫓が傾いていって、縦の柱を追加するときには、
丸太が倒れそうになって、おもわず親方がその丸太を持ってくれたんだけど、落ちそうになって
しまった。「おう、ちょっと引っ張れ」って言うから、親方を引っ張ったら。「俺じゃない、丸太だ」
傾いた櫓だったけど、何とか煙突は立った。「じゃ、兄ちゃんも記念にレンガ積んで
みるか」と言われて、窯の火を入れるところのレンガを積ませてくれた。何とか積んでいると、
親方がやって来て「兄ちゃん、俺と窯作りやってみないか?」と言われた。「俺、長男だし。
ちょっと無理と思う」 がっかりさせてしまった。
表で子供の声が聞こえる。Oさんが何かと思って出て行った。「うさみ、来てごらん」
出て見ると、何か光がゆっくりと飛んできた。すぐ前の道路に行くまでの間も、そこここに光が
飛んでいる。道路に出て向かいの田んぼを見てみると、一面にゆらゆらと黄色い光が揺れて
いる。いくつ飛んでいるのかわからない。田んぼのずっと向こう、その先まで蛍が飛んでいる。
ずっと先まで。すぐ手をのばしたところにも、まるで星が一面に降りてきたみたいだ。
すちゃらかうーたろう
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