2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2014年11月9日日曜日

スィートホーム ララバイ

俺の出生地は東京都葛飾区の上小松町というところ。
今は東新小岩という地名になっている。
当然、下小松町というところもあって、小松川という地域があり、小松菜の発祥地という土地紹介の流れになる。「という」が多くてすまん!

生まれたのは昭和だと20年代後半(西暦だと1950年代でやんす)、ガキパワーで遊び回ったのは30年代。
典型的な下町環境ゾーンで、中小企業の下請け孫請けの工場(こうば)があちこちにあり、吹けば飛ぶような家が寄せ集まった町並みだった。・・・なんだけど、田んぼや畑もそこそこに残っていて、中途半端に田舎くさい地域だった。
家から、総武線新小岩駅まで歩くと急いで15~6分、フツーで20分。どぶ川沿いの砂利道を歩いて駅に近づくと、道路はグラデーションのごとくアスファルトに変わっていった。高校時代、行き帰りにハイライトを吸いながら、モヤモヤと広がる人生のコトを夢想して悶々と歩いた道だ。
一握りの金持ちの他は、ほとんどが貧乏人所帯で内(家?)風呂のある家は少なく、銭湯があちこちの町内にたくさんあった。それぞれの休業日のローテーションが入っていて、通い分けていた。
瓦屋根とトタン屋根と茅葺き屋根とが混ざり合い、路地とどぶ板が入り組んで、台風の後なんかはいろんなモノが残骸となって道を塞いでいた。
小学校から帰ると路地や原っぱで暗くなるまで遊んだ。金はないけど時間さえあれば、経験と知恵を大回転させてアソビを考え作り出していった。地面と木と石さえあれば、何時間でも遊べた。
子どもなりのキマリというか、伝承みたいなのがあって、上の子が下の子の面倒を見て、弱いモノにはハンデをつける。貧乏人同士の扶助みたいなモノが子どもながらにわかっていた。そして受け継がれていた。
親たちは自分の子もよその子もいい事すると褒め、ワルサをすると叱ってた。
他人の家の情報は、夕飯のおかずまで含めてある程度筒抜けで、母親たちは洗濯物を干したり、道路の落ち葉を掃いたりしながら、「今、町内で何が起こっているのか」を立ち話していた。
路地の隙間や垣根越しに季節の風が抜けて、ほどほどのおせっかいと他人任せとが調和し、風通しがよい町、そして暮らしを紡いでいた時代だった。
誰もが日々を一生懸命生きていた。


風に描かれた子供たち 画/永島慎二

不幸にしてさんざんな子供時代を送る人もいるが、幸いに俺の子供時代は恵まれていたのだったと思う。
毎日が黄金色の日々だった。
何を基準に幸せ度を計るのかってことにはなると思うのだが、すきっ腹型バカ頭には「今夜のご飯はカレーライス!」。それだけで、満ち足りて幸せな一日であった。
どこの家でもたくましさと笑い声があり、金だけがなかった。
でも、「そんなこと、言ったって始まらねェや」って感じで大人たちは働いていた。たまに酒の席で言い合いになって、掴み合いの喧嘩をしてるのを見ることがあったけど、次の日になったらいつも通り冗談の言い合いっこをしてた。
ああやって、溜まっていたものの吐き出しをしていたのだろう。
俺も両親から、「金はないけどなんとかなるさ」という遺伝子だけはいただいて、今日までやってこれた。ここのトコロは素直に感謝だ。
戦争があって、果てしない悲しみがあり、高度成長といううやむやのすり替えがあって、すべてのツケは民衆に降りかかっていた。昭和に限らずだけど、戦争の親玉(商社も含めて)は、いつの時代でもゾンビのように立ち代りすり替わるのが、この国の悪の温床システムだ。
負けるな民衆! 立つんだ大衆!! 歌え皆の衆!!!

たま~に新小岩で、小学校中学校の同級生らと呑む事がある。
俺は25歳くらいで家を出てしまったし、その家も今はない。
田んぼや畑は、マンションやコンビニに変わり、日常的に誰かしらが落っこちてたどぶ川は、暗渠となりバス通りとなった。
でも、意外と新小岩で住み続けてる友だちは多い。男は家を継ぎ、女は・・・、様々な理由で暮らしている。
みんなりっぱにおじいちゃんおばあちゃん、あんどオヤジおばんだ。老けてる奴から若づくりの奴まで・・・、それぞれに人生を積み重ねている。
何十年ぶりかで会った奴なんかタイムマシンものだ。完璧に時間を飛び越えてしまい、振り幅に暫し呼吸が停止する。
でも、みんなあの当時の面影というか、手がかりというか、思い出ポイントを持っている。顔のパーツはもちろん、話す時のクセとか笑い方とか・・・。
まぁ、俺も同じように見られているわけだが・・・。

みんな、俺がギター弾いてたのを知ってるので、会うと聞いてくる。
「日川、まだギター弾いて、バンドとかやってんの?」
「あぁ、道楽だからな」
「へぇ~、何人編成? どんなバンド?」
「三人バンドだよ。ギターとギターとベース」
「おぉ かぐや姫じゃん! それともアリス?」
この連想は、この年代にとって梅にウグイスくらい仕方ない。仕方ないとわかってはいるが・・・
「おまえ! それ以上言ったら殺すぞ! ふぉーくじゃねぇんだからな! なめんなよ!」
「わかった。わかった。んで、日川は南コーセツ? それとも伊勢ショーゾー?」
「・・・ダメだこりゃ」


ギター少年だった頃


《営業2課 じゅんぼう》

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