2015年4月26帰京集合写真
2012年9月19日水曜日
ARIKO
9月16日。アリコの命日だ。いつものように写真を飾り、
コップにビールをつぎ、お香を焚く。
やってきたお客さんが、「あ、そうか、命日かぁ」と、
自分のコップとアリコのコップをチョンする。
そして、それぞれの思い出話をはじめる。
キレイな女だった。キレイな人間だった。
もう、こんな女は2度と現れないだろうと思いながら、
一緒に行った中国のことを思い出す。この時、大阪支社のたかしも同行した。
1984年8月、上海の和平飯店でJAZZを聴いてた時、
アリコが先頭きって踊りだし、そのうしろに、一緒に行ったみんなと、
レストランに居合わせた西洋人観光客までもつながって、ジェンカになった。
まるで、巨大な龍の踊りのようで圧巻だった。つい昨日のことみたいだよね。
アリコは、「すちゃらかしゃいにんぐ」の大ファンでもあった。
関東、関西、いろんな会場に足を運んでくれた。
そして、いつも絶妙のタイミングで合いの手を入れて盛り上げてくれた。
日野あっちゃんとハモるように、「すけべマイケルゥ~」。
「え、もしかして、やっちゃん唄うの?キャーたっかすっぎさ~ん」。
ほんで、一緒に唄ってくれた。
「自分ら最高やで!」。うれしいことを何度も云ってくれたね。
アリコは、維新派の制作をやっていて、(アリコが維新派をここまでにした、
と云っても決して過言ではない)大阪と東京を行ったり来たりしていた。
東京に来た時は、当たり前のようにオイラの部屋に泊まりにきて、
何度も同じ布団で添い寝した。キレイな寝顔だったな。
2001年2月、のみ亭のお客さんの広い部屋を割安で借りる約束。
アリコが東京で活動しやすくするためだ。
そして、4月。満月洞での、「のみ亭20年突入パーティ」の時、
わざわざ大阪から駆けつけてくれた。
疲れた顔をしてるので尋ねると、
維新派の情宣でほとんど寝てないんよ、と答えてビールを口にした。
まもなくして、ガンが発見され、闘病が始まる。
そして、9月16日、逝ってしまった。
かわいい浴衣着て、ちょっと散歩にでも出かけるかのようだったね・・・。
結局、部屋は一度も使われることはなかったが、居候が一人住み着いた。
アリコの古くからの友人だった。
開閉商事 営業3課やっちゃん
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