深夜に西荻の街を歩いていた。
のみ亭へ行くところだったか、おこもり堂へ行くところだったかは、思い出せない。
細い路地の端にある「T」という店の陰に男が立っていた。物陰に身を隠して、まるで刑事が
張り込みをしているような感じだった。
「あれっ、M君なにしてるの?」
「しいっ~」
「??。しいっ~って。どうしたの?何かあるの?」
「ちょっと待って」と、わしを物陰に引っ張る。
「何?」
「あそこの店にともくんが....女の子と...」
「おでん屋さんかあ。んで?」
「いや。う~ん」
訳分からんのでわしはそのまま離れた。少し行って振り返ると、まだ隠れて覗いている。
ある日、すちゃらかをまだ5人でやっていた時。
ナモ商会で演奏する事になって、のみ亭で練習をしていた。
「なんで風呂入ると、はあ~とかひえ~とか声出すんだろう」などと馬鹿言いながら。
突然ドアが開いて声が聞こえた。
「やっちゃんバンドがここで練習してるって、ナモ商会で聞いたんだけど」
あたた、ありゃ~、どうしよう。みんなで顔を見合わせてしまい。急に静かになってしまった。
入口には友部正人が立っていた。正真正銘だった。みんな何も言えず、かろうじて誰かが
「はい」といった。と思う。
「今日ぼくもナモ商会で唄うんだけど、3曲ほど一緒にやれないかと思って」
「えっ、一緒に...ですか?」「どうしよう」「どうすんの」「来ちゃったものやるしかないん
じゃない」「でもできるかなあ」5人でぶつぶつ声にならない声で相談したが、やる事にした。
先に唄ってもらったが、こりゃ大変だ。「わし2ビートしかできないんですけど」それなら、と
若干変えてくれた。「じゃ、ここで5弦バンジョーのソロ入れてくれる」「いやあ、ちょっと
無理ですわあ」「そうか、ならこうしよう」などと、色々やってくれたんだけど。わしはもう
大変。コードをきちんと憶えられないし、友部正人と一緒にやるという事で舞い上がっているし
いまではその後の記憶はほとんど全くなしで最後のほうでアキラが入って来たのだけはなんと
なく覚えている。地球を回るうたとかやったような気がするくらいで、自分らが何を演奏したの
かさえ憶えていない。わしにとってはきっと、まあ恥ずかしい演奏だっただろうから憶えていな
いで良かったのか?
友部正人を初めて聞きに行ったのは、北千住の「甚六屋」だった。前の方で演奏を聞いたので
演奏後にちょっと話をした記憶がある。何か話題を振ったと思う。すぐに返事がないので無視
されたかと思っていたら。しばらくしてその事について話してくれた。軽い返事ではなく、きちんと
考えてくれていたんだ。
ナモ商会で一緒に演奏してから大分経って。大阪にいる時に、神戸「ルナホール」での演奏も
聞きに行った。友部正人が演奏して後ろで鈴木康司さんが絵を描いた。友部正人はルナホール
にちなんで月の唄ばかり13曲くらい唄っただろうか。鈴木康司さんはそれを聞きながら絵を描
いた。ボルプランニング関係が主催だったかも。ホールの作りも良い感じですごく良かった。
次に聞いたのは大阪の「バナナホール」だった。この時はリクオがアコーディオンで手伝って
いて、ロックンロールぽい演奏がとてもよくマッチしていた。リクオは維新派のUちゃんが大
フアンで、Uちゃんとよく一緒にききにいっていたありこから話しを聞いていたので、わしも
興味を持っていた。ホンヨウウンも聞きに来ていた。演奏が終わって出て来た友部正人とちょ
っと話した。
何カ月か経って、やっちゃんのところへ行こうと西荻の駅でホームに降り階段を下って行ったら。
降りたところに友部正人がいた。久しぶりですね。と言って話しかけたら、「アケタの店」で
演奏するらしかった。大阪の時のリクオは良かったですねというと、今日リクオも出るから聞
きに来ればと言ってくれたが、やっちゃんのところに用事があるし、持ち合わせの事もあった
ので、またの機会という事にした。
この間、のみ亭で友部正人の唄がかかって
.......その頃きみはいやなやつにつきまとわれて..... という歌詞が
「あれ、やっちゃんこの歌って?」
「M君の事みたい」
「そうか、張り込みがこういう結果になったんだ」
何年か前に友部正人のブログを読んでいたら、たまには西荻にいきたいなあ、誰それにあいた
いなあ、などと書いてあって。その後にやっちゃんの店にも行きたいしと書いてあった。
横浜もニューヨークもちょっと遠いからなあ。
開閉商事 営業一課 すちゃらか・たまらん・うーたろう
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