2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2014年5月25日日曜日

BROTHER MOON & SISTER SUN(前篇)

ライブは楽しい。
ライブ自体も楽しいが、終了後の打ち上げが楽しい。
打ち上げまで含めて、ライブである。
セットなのである。
打ち上げがなかったら、すちゃらかしゃいにんぐはライブをしないだろう。と言っても過
言ではない! ドン!(机を叩く音。)
最後の演奏曲が終わると、いろんな意味でホッとする。
片方でやり終えたぞ・・・と思い、もう片方でさぁ打ち上げの始まりだ。いい酒呑むぞ!
てなカンジである。
であるから、ライブやコンサートで演奏が終わったら、俺たちには呑むことしかないので
あ~る! ドンドン!!(またまた、机を叩く音。)
遅くなったが、すちゃらかライブ回想録第四話で進んでいる。
時は1985年4月。すちゃらかしゃいにんぐは5人で動いていた。
オレ、やっちゃん・うーちゃん、なべいちもマイケルもゼッコウチョ~であった。
オトコばっかのバンドであった。

呑み友達で写真家で娯楽指南役&人生指標家のS原H出夫(Kまさん)が、やほ(谷保)
耕作団という怪しい集団を率いて、毎年味噌作りをやっているという。
んで、今年も仕込みをするから、そこで歌えといってきた。
味噌(大豆)も人間も楽しい唄を聴けば、ゴキゲンになるんだと言って、いつもの笑顔で
ニッコリ笑う。
 へぇ~そうなのか・・・ふんふん・・・
仕込みの場所は、小金井市にある学芸大学内の畑。
おいしい料理と酒が、食べ放題呑み放題。さらに昨年仕込んだ味噌も分けてくれるそうだ。
そんな楽しい予定に5人がニヤニヤしていると、同じ日の夜に武蔵小金井駅近くの上之原
会館というところで「原っぱまつり」というコンサートが行なわれるという。そこでの出
演依頼が飛び込んできた。
味噌作りの畑からは、徒歩10分くらい。
時間的にも、出来ない条件ではない。
モンダイは・・・、打ち上げをどうするかだ!

さて、当日はいい天気で、風は穏やか。絶好の仕込み日和である。
畑に到着すると、ビニールハウスの周りの仕込み場では、湯気が上り、大豆をゆでたり、
野菜を切ったり、料理を盛り付けたり、缶ビールを開けたり、子ども達が走り回ったり転
んだりと、がっちゃんがっちゃんで笑顔が重なっている。
耕作団員は20人くらい・・・、みんな楽しそうだ。
広い空と広い畑、深呼吸が自然と出てしまう。
演奏するのは俺たちだけなので、好きなようにやっていいと言われた。そいつは助かる。
よけいな事は考えなくていいのネ。バカ頭たちにはウェルカムだ。
駆けつけ3杯を繰り返してから、おいしいお味噌が来年できますようにと、すちゃらかし
ゃいにんぐライブの始まり始まり・・・
となったのだが、何曲か演奏しては小休憩で呑んで食い、また何曲か演奏しては食って呑
んで・・・、なんてことはないライブと打ち上げをいっしょにやっているようなものである。
言い方変えると、野外宴会と言ったほうが近いかもしれない。
演奏の出来はともかく、状況設定は最高であった。
大きなテーブルを前に歌い、演奏し、楽しむ、呑む。
テーブルのまわりでは、聴く。踊る。野次る。笑う。そして呑む。
そうして、それらの合間に臼の中の大豆をすり潰す作業に加わったり、大豆ダマを仕込み
樽に並べたりと、収穫祭というか仕込みパーティーというか、まさに味噌作りの中のライブで
あった。


畑と空と風だ


陽が傾きかけた頃、俺たちはお土産に味噌(昨年産のネ)と野菜をどっさりいただき、さよ~なら
の声に送られ、畑をあとにした。
気分は終戦後当時の地方巡業演芸一座である。
片手に楽器ケース、片手にネギの飛び出した袋をぶら下げ、5人のオトコが黄昏の中をフラフラ
と歩いていく。
行き先は・・・、上之原会館「原っぱまつり」。
ひとつ山越しゃ、ほんだらったほいほい♪
ふたつ山越しゃ、ほんだらったほいほい♪・・・・・・と。
以下、後編へと続く。

●この日の演奏曲●
1.SUMMERTIME JUMP
2.サイバイサ
3.温泉旅行
4.BACK STREET JUGBAND SHOW
5.SUNNYSIDE OF THE STREET
6.メリーの手紙
7.恋のシーソーゲーム
8.キャピ ギャル
9.マンドリンマン
10.ハーバーナイト
11.これこそ男達の人生
12.ディキシーでいこう

*文中、敬称は省略させていただきました。


《営業2課 じゅんぼう》

2014年5月18日日曜日

まだ穴掘りは続いているんだよね

まだ穴掘りはしている。これは仕事だから、しかし現場が無ければ仕事もなくなる。

石が出ているところの周りを掘って、石がどれくらいの深さで、どれだけの量があるか見る事に
なった。結構な大きさの石がだいぶ埋まっている。真ん中がベルトにかかっている。ベルトは土
の層を調べるために、そこだけ細く道のように残して側面は垂直に削っていく。石がキレイに出
たので、次は石を洗った。そして写真を撮り。測量して、ベルトにのった石は残して石を取り上
げた。ベルトにそって掘りさげることになった。掘り下げるとほぼ真四角の半分位の壁が出て来
た。石の一部はまだ残っているので落ちてくるかもしれない。手で触って動くものははずしたの
だが、立ち上がる時に手をかけたら足もとに落ちて来たものがあった。途中からまあるく土の色
が違う部分が出て来た、井戸がはっきりと形を出してきたみたい。そこも半分にしたまま掘り下
げる。さっきより狭いのでなかなか掘れない。ようやく底をだした。写真を測量がすんだ頃には、
ベルトもはずし全体を完掘、そして横穴を進める事になった。横穴は先にSさんが縦に掘った溝
からこちらに進んできていて、この井戸に繋がってから90度方向を変えて元池があった方へ続い
ている。高さ1m20Cm位で横60Cm位か掘り進むと下の方から木が出てくる。木樋がしいてあ
ったのでそれが残っている。腕や腰が泥だらけになりながら何とか掘り上げる。いつも思うんだ
けど昔の人は、たいした道具もなかっただろうにキレイな四角い穴や丸い穴を上手に掘っている。
いやあ、たいしたもんです。たまに下手な穴があるときもあるが。

次に入った穴は石もなくて掘りやすい。やはり半分だけ先に掘る。普通に掘り進む、瓦や陶器の
破片は残しておいて、他の土や石は上で待機している人のに捨ててもらう。1m20Cm位下がる
と貝が沢山出て来た。アサリ、ハマグリ、サザエ、アワビなど。サザエなんかはすぐに崩れるん
だけどしっかり形が残っている。鳥の骨らしきものもあったので、先生に聞いてみると魚の骨が
あるといいんですけどという話。夕方近くで薄暗くなってきたから、魚の骨はさすがによく見え
ない。翌日掘っていたら結構魚の骨があった。なるべく大きめのをビニール袋に入れる。どんな
魚を食べていたか調べるみたい。貝の層のサンプルも土のう一袋分とった。土のなかに赤いビニ
ールみたいなものがある。聞いてみると漆器の木の部分が溶けて、漆でぬった部分だけが残った
との事で、うまくそれだけ取れればいいけど無理だったら土ごとビニール袋に入れておくように
言われた。最後、底の一歩手前に粘土質のものがちょっとした厚みで残っていて、粘り気が強く
てなかなか掘れなくてちょっとしんどかった。なんとか掘り上げて写真。測量のあいだに別の所
へ行って掘る。三つ位遺構が重なっているようでなかなか面倒くさそう。とりあえず先生の指示
で掘る。四角く形が出たと思ったら、まただ、真ん中に丸い形が出た。井戸が出てしまった。測
量が終わったので、そっちを完掘するか、あたらしい井戸を取るか聞かれた。当然完掘の方を選
んだ。やはり中途でやめずにきちんと終わらせる。これが私の信条だ。いや、井戸掘りの半裁は
きついんだ。えらい狭いから。掘るのも土をあげるのもたいへん、まだ地下室のほうがまし。

結構おおきな遺構にかかっていたベルトを崩して、仕上げに底をキレイにしていた。ロームに残
った黒い土をはがしていると、カチっと石があたったとおもったら黒いものがひっかかっていて、
それをあげて見たら、あれえっ。まず一緒に作業していたOさんに見せ、前回の現場で最初に見
つけ数も一番出したKさんに見せた。「あれ、黒曜ですね」
結構な大きさの黒曜石で縦横2Cm4Cm厚み5mmくらいか、江戸時代の遺跡調査なんだけどロー
ム出ししていると黒曜石も出るみたい。そこから2mの所で黒曜石の破片が一個でて、5m離れた
所でN君も破片を一個出していた。こんな出ちゃうとプレ掘りをやらないといけなくなるだろう
な。

その後に、以前途中で止めていた小さな横穴から続く地下室を途中から引き継ぎ、それも終わっ
た頃には全景写真を撮る日が翌日に迫ってきた。全景写真の準備で皆掃除をはじめ、丁度咲き
始めた桜の花びらが散ったのをくしに刺して取り上げて行く、その横からまた花びらが落ちてくる。
落ちて来たからと言ってまた集めていると終わらない。気にせず先に進む。どちらにせよ明日の
午前に再度掃除をする。全景撮影当日、高所作業車がやってきた。地上24m位からの撮影。よく
あんな場所まで上がれるもんだ、下から見上げているだけでもちょっとびびる。

あと二カ月位でここの現場も終わりになる。
5月24日(土)に遺跡の発掘現場説明会が行われます。時間は11時~15時の間です。興味のある方はどうぞご来場下さい。場所は六本木6番出口を出て俳優座と六本木ラーメンの間の道を入ってすぐの十字路の右先の角が入口になります。


開閉商事  営業一課  すちゃらか・たまらん・うーたろう

2014年5月11日日曜日

世界は馬鹿で出来てる エピソード2

この世に神様が~




 開閉商事もスチャラカも開店休業状態だから、またまた昔話書くわん。
あたしはその頃、極左崩れ、ヒッピー憧れ、プー太郎、タダの駄目人間だったのよ。今もあんまり変わんないけど。で、ハッパきめながら『オルダス・ハクスレーの知覚の扉(近くの扉じゃ無いわよ)』読んでたのよ。※注 知覚の扉澄みたれば、人の目にものみなすべて永遠の実相を顕さんーウイリアム・ブレイクの詩からとったのよ。ドアーズもここからよ。ん、ジムモリソン素敵。
したら、メスカリンによって、ありのままの宇宙を体感できるようになるウンタラカンって書いてあるじゃない。知的好奇心旺盛なあたいは、うんじゃサボテンでもさがすべ~って成ったんんだけど、日本じゃなかなか無いのよ。でいろいろ調べたりしたら、紅天狗茸が同じ様な効果が在るって言うじゃない。そうれって、あたいは長野県に向かってアクセル全開よ。


食べるな危険(-_-)


でもさ、松の木の下とか牛のウンチの側に在るっていっても、都会っ子だから松の木も分からんし、牛なんて肉屋以外で見たこと無いしどうすんのよ。で走り回ってたら牧場見つけたのよ。柵乗り越えて棒で牛のウンチ突ついていたら、デッカい牛が向かって来るのよ。後ろからはオヤジが軽トラで迫ってくるし。やべえって這々の体で逃げたのよん。で東京戻ってから作戦練り直しよ。はたと気が付いたんだけど、長野県に悪友居るじゃん。こいつとは、数年前に山奥にハッパの植付けに行って半年後に収穫に行ったら、林道に成ってたって苦い思い出があるのよん。先に気が付けよあたいって感じ。早速、電話すると幾らでも在るって言うじゃない。再びあたいのポルシェはアクセル全開よ。で到着するとザルに山盛りの紅天狗ちゃんが待ってたわよん。喜んでお礼もそこそこに帰ったわ。うんで、一人じゃ勿体無いてっことになり、後日キノコパーティーてっことで、N子、Fやん、Nさんに声をかけてN子の部屋の集まったのよ。まさかこれから地獄の時間が始まるとは、あたいは知らんかったわよ。ビールやワインで乾杯、キノコちゃんはバター炒めよ。この道のベテランFやんが、わしもキノコは始めてやで。楽しみや。などとワイワイガヤガヤ。普通に美味いやん。でしばらくすると、あ〜効いてきた、あ〜気持ちいいってみんな倒れていくのよ。なんだよあたいは全然効かないよ。つまんない。しょうがないから、残ったキノコを皿の油まで食べたのよ。で少し経ったら、なんか全身が痺れてきたたのよ。へっへっ来た来たってヨダレ垂らしながらあたいは倒れたのよ。どの位経ったのかわかんないけど、凄く体が痛くてとても気持ち悪くて目が覚めたの。したら6畳一間のN子のアパートが屋根も壁も無く、大草原の真ん中に畳だけで有るのよ。


こんな感じに畳6枚(°_°)


であたいは、首だけ空中に浮かんであたいの胴体見てるの。あれま、ヤバイじゃん。胴体繋げようと思っても上手くいかないわ。焦ってみんなに助けを求めたら、みんなの身体の上に十字架や卒塔婆が乗っかってるのよ。
ひえ〜、死んでるじゃん。超ビビったあたいは、逃げようと振り返ったのよ。※注 ここまでずっと首だけ   したら、ドラえもんのどこでもドアみたいな、汚い木の扉が有ったのよ。急いで飛び込むとそこはトイレだったのよ。であたいは、頭のてっぺんからウンチもらし、首の下からしこたま嘔吐したわ。でN子が棚にちっちゃな人形を沢山飾って有ったんだが、star warsの帝国軍の兵士みたく凄い数に成って、追って来るのよ。


助けて(・_・;


あたいは焦って周りをみまわしたら、洋式便器にejectってスイッチ見つけたのよ。で跨がってスイッチオン※注 ここまでずっと首だけ  したら凄い勢いで飛び出したのよ。大草原をスイスイビュンビュンよ。こりゃ楽しいわ。ドンドン行けー。などと叫んでいると地球を飛び出したのよ。※注  横から見ると、洋式便器の上に首だけ乗ってる  で太陽系飛び出したら、アンドロメダ星雲が見えたのよ。※注 道路標識に書いて有った  でドンドン迫って行くと、黒い穴が見えたのよ。よく見ると台所の流しの排水口じゃん。やべえやべえって叫んんでる内に吸い込まれたわ。暫く気を失っておったが、あまりに気持ち悪くて目が覚めたのよ。で足元見るとケツが前に有るのよ。くっついたけど逆じゃんなどとブツブツ言ってたの。すると遠くの方から変な音がする。排水口を覗くと奥の方からキノコが飛んでくるの。逃げるとスッポンて音がして畳に落ちたわ。※注 ここまで正面に目とケツ、チンコが後ろに付いてる。 すると白い煙が湧き上がりキノコが巨大化して行くじゃない。あれれと思いながら見ていると


これに髭と杖(≧∇≦


2m位に成ったところで、ボンと爆発したのよ。後ずさりすると白煙の中からキノコにヒゲが生えて杖持ったお爺さんが立っていたのよ。※注 水戸黄門がキノコの笠かっぶった感じ。 見つめていると爺さんが『わしはキノコの神である』って。は、自分で言うのかよと思ったんだけど口には出せ無いわよん。でその神様が『アビコよ、お前はふざけて神聖なるキノコを扱ったじゃろ。キノコ界ではお前の処分を求める声が高まっておる』ひえ〜、マジかしらん、人間界でも同じ事言われてるのよん。あたいは、震えながら土下座して神様に『二度としまさせん。お許しを‥‥』と何度も頭を下げたのよ。※注  この時もチンコが後ろに付いてる 。 すると『以後精進せよ』と神様がおっしゃり、ボンという音と共に小さくなりスルスルと排水口の中に帰って行かれた。で安心したらまた気を失ったのよ。
翌日目が覚めると、あたいは素っ裸だったのよ。身体も元に戻ってたわよん。もちろんチンコは前に有ったわん。N子が『全然動か無いから心配したよ』て泣きながら抱きついてきたわん。

後日とても体調の悪いあたいは、這って友人の中毒専門医を訪ねたの。したら『瞳孔が開いてますよ。危なかったですね』だって。その後身体の痺れが取れるのに半年かかり、八百屋の店先でシメジやエノキ茸見ただけで、痺れてその場に倒れるというのが、3年ほど続いたわん。怖かったわよん。


♬心に沁みる一曲🎶

作詞:荒井由実 作曲:荒井由実




白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲


合掌  Mちゃんお疲れ様でした(涙)


もうどうにでもなれ。やさぐれ阿鼻子

2014年5月3日土曜日

君の窓から出ておいで

忘れられないすちゃらかライブ回想録第三回は、1988年12月のこと。
西荻窪ほびっと村2階の満月洞で行われた忘年会だ。
その頃、すちゃらかしゃいにんぐはやっちゃんと俺の二人でやっていた。
忘年会の主催者から「時間をあげるから、ちょっくら歌ってみろ!」と誘われたので、
「へい、まいどおおきに!」と二つ返事で引き受けた。
まぁ楽しいことが好きな連中だから、絶対愉快なパーティーになるはずだと思っていたら、
なんと、ゲストで西岡恭蔵が歌うらしい。あの西岡恭蔵だ。
楽しみだ。彼の唄が近くで聴ける。
俺は一言でいいから、話がしたいなぁ・・・なんて秘かに思っていた。
俺を育ててくれた音楽人の中でも、特別な位置の人だからね。彼は。
ん~~~、ミーハーたっぷりでフォーク少年な、オレ♪

で、当日。やっちゃんからアクシデントを知らされる。
前夜に包丁で左手中指をキズつけてしまったというのだ。
爪の部分をかなり切ってしまったそうだ。
幸いなことに大事には至っておらず、カットバンでの止血状態でそのまま傷口がふさがれ
ば大丈夫という程度らしい。
だが、痛みはあり、とても動かせないとやっちゃんは言う。
コード弾きにしろ、フレーズ弾きにしろ、使えない指があるということは、気分的にも演
奏的にも影響がオオアリの大蟻食いだ。(指のハンデがあっても、J.Reinhardtのようにも
のすごいギターを弾く人や、手が大きく指の長い外国人ギターリストの中には、親指も使
って音を出す人はいる・・・。
どんな時でも、その時点の状態で最良の方法を見つける!ってことなのだね。)
やっちゃんは、「でも、大丈夫だよ。なんとかなるでしょう。」とマイペンライだ。
本人が言うんだから、まぁいいか!
悪い方には考えないことにした。
なもんで、早めにほびっと村に行き、3階の「ほびっと村学校」でリハーサルをやってい
た。だいたいの曲は決めていたが、二人でやる時のいつものパターンで、状況により曲は
流動的にやろうって思っていた。指のこともあるしね。
そんなカンジでのんびりやっていると、のっそりと男が入ってきた。ボンゴを抱えている。
「うわぉー! 西岡恭蔵だ!」
俺とやっちゃんは演奏が止まった。
妙な間の後、俺が「何か用ですか?」と聞く前に、西岡恭蔵が話しかけてきた。
「今日、いっしょにやってもいい?」
俺は息も止まった。
「そっそんな、恭蔵さんの方こそ、いいんですか?」
「もちろん。じゃ唄を聴かせてよ。」
熱いモノが、全身をジワジワと浸食してる。
それから、全曲通してリハを続けた。
彼は俺のペラペラの歌詞カードを見ながら、無表情でリズムを叩いていた。
時々、俺たちがモタツクと、彼の方から歩み寄って合わせてくれた。
信じられるか?
俺の唄をあの西岡恭蔵が一緒に演奏してるんだぜ!


西岡恭蔵/ディランにて

本番で、俺はすっかりアガッテしまった。
やっちゃんのアクシデントもだけど、西岡恭蔵と一緒に演奏するというスーパーサプライ
ズに気持ちと体がバラバラになってしまった。
「歌詞間違えるなよ!」
「恭蔵さんの音と合ってるか?」
「やっちゃんの指は・・・」
「レレレ・・・今どこやってるんだ・・・?」
あぁ・・・もうちょっといいところを見てほしかった聴いてほしかったヨ・・・

やっちゃんは指をかばって無難に弾こうとはせず、感情にまかせて弾く方法に切り換えて
るみたいだ。時々、ミストーンが出るけど、起伏があり気持ちが伝わる音の流れになって
いるから、ケンチャナヨだ。
西岡恭蔵のボンゴは、控えめだけどよく聴こえて歌いやすい。時々アクセントやオカズを
入れて、からかってくれる。初めての共演奏だけど、大きな包み込みを感じる。
今日は、ほとんどゆったり目の曲なので選曲は大正解だ。
俺以外はノープロブレム。

最後の唄は「1980」にした。
12月ってこともあったし・・・
俺たちにも西岡恭蔵にも、大事な人、大きな存在の人・・・、JOHN。
NEW YORKのことを東京で俺たちが歌う。
歌ってる。
すちゃらかしゃいにんぐと西岡恭蔵・・・
こうして不幸な始まりの80年代が、不毛のまま終わりに近づいていた。

1999年、西岡恭蔵は愛妻の三回忌の前日に、自死を選び、俺たちの前から消えていった。
1988年12月、彼の50年間の人生の中での一瞬の出逢いだった。


    死にたいねなんて 言わないで
    夜明けのバスに とびのろう
    みんなが まっている
    昨日の海へ 行くんだよ
   ―――西岡恭蔵/君の窓から

とても晴れた日だった。
たくさんの人が集まり、
ステージでも客席でも歌ってた。

●この日の演奏曲。●
1.寂しきホーボー~D.W.WASHBARN
2.SWEET HEART NIGHT
3.WAY TO THE MOON
4.Mr.K
5.SANFRANCISCO BAY BLUES
6.サイフはからっぽ
7.1980

*文中、敬称は省略させていただきました。


《営業2課 じゅんぼう》