どういう理由だったかは思い出せない。朝、保育園に行く時に、保育園用のうわっぱりが乾いて
いなかった。たぶん前日の夜に洗ったんだろう。朝には乾くからって母ちゃんが言ったのに、朝
になってもまだ湿っていた。そんなの着て行きたくないと言って、保育園を休んだ。
休んだからといって、何かする事があるわけはない。まだU字溝が埋まっていない、道路の横の
小川みたいな溝に物を流してみたり、庭の木の根っこの間の蜘蛛を捕まえたり、向かいの空き地
に物を投げたり、一人ぶつぶつ言いながら遊んでいた。
夕方近くになって、気が付くと向こうの方からぞろぞろと、保育園のうわっぱりを着た子たちが
うちの方へやってくる。あんちゃん家の垣根に隠れて、そっと見ていると、同じ組の子たちだった。
シンゾウとアケミちゃんがいた。二人はきたさんや商店街の入り口近くに家があって、近所なの
でいつも一緒に保育園に来ていた。二十歳くらいの時にバウル―という喫茶店で、営業が終わっ
た後にその店の先輩や常連でよく飲んでいた。その時にたまたまマスターが〇〇アケミさんです
と紹介した時に、おもわずもしかして〇〇保育園に通っていたアケミちゃんと聞いたらまさしく
同じ組だったアケミちゃんだった。保育園の時の面影がしっかり残っていた。
イイヅカもいた。イイヅカはお母さんが有楽町で働いていると言っていた。フランク永井の「有
楽町であいましょう」が好きだったので、きっとティールームというとこで働いているんだろう
と勝手に思っていた。
コウモトもいた。コウモトは小学校はちがう学校になったけど、三年生のころ高木神社のそばで
見た時にすぐにわかった。中学校は一緒になり、同じ剣道部にはいったが小さい時と同じ大きな
顔をしていたので、その時もすぐにわかった。
オノダもいた。オノダは家の裏の方のきたさんや小学校よりもっと向こうの団地に住んでいた。
一度そのそばにいなごを取りにいって、ついでに家の前であそんだ事があった。お弁当でカレー
を持って来たのをみたときはすごくびっくりした。
ケンチャンとマサキもいた。マサキはケンチャン家の向かいの駄菓子屋で、ケンチャンは日立の
社宅に住んでいた。ある時、保育園で先生がそれではみなさんおえかきの時間ですと言って、画
用紙をくばった。どんなえをかいたらいいのかわからないのでまわりをみた。ケンチャンはこの間
おとうさんと船に乗ったと言って船のえをかいていた。船とか書いてみたいなとおもったけど、
乗った事がないからかけない。画用紙にTを横にした線を引いて色をつけた。その日の帰りの前
に、園長先生によばれた。画用紙を前にしてこわいかおで聞かれた「これはなんですか?」
「もようですか?」もようって何か知らなかった。けど、「はい、もようです」っていったら、わかりまし
たといって帰してくれた。それからはおえかきのじかんには、いつもケンチャンがかいた船のえを
まねしてかいていた。
同じ組の子はみんないたみたいだった。家の横をとおってうらの橋を渡って、ぐるっとまわって
川沿いに歩いていった。川のこちらがわは家がなかったのでよく見えた。けれど、途中で見えなく
なった。
母ちゃんが帰って来たので、保育園の子たちがみんなで川の向こうへ行ったことをはなした。
そしたら「あんた知らなかったの。Sくんがトラックにひかれて死んじゃったんだよ」
「それでみんなでSくんの家にいったんじゃないの」
おもわず大きな声で泣き出してしまった。理由はわからない。Sくんがしんじゃったからな
のか、うわっぱりがかわいてないからといってずる休みをしたからなのか、みんながササキくん
におわかれしにいったのにいっしょにいかれなかったからなのか、そういうのがかさなったうし
ろめたさなのか。
開閉商事 営業一課 すちゃらか・たまらん・うーたろう
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