2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2014年10月14日火曜日

BANDやろうぜ!

いみじくも細野晴臣氏はおっしゃった。
「いいBANDは、いいBAND名がついている。」
名言である。
単純にして明解である。
そして、この公式はかなりの確率で当たっている。
センスと主張とインパクトがあって、一度聞いたら忘れない。それがいいBAND名だ。
曲とか唄が良ければ、後付けで馴染んでくるんだヨ・・・との指摘もあるだろうけど、おおかたの場合、BANDを作った時、BAND名を付けているだろうから、その時点でBANDは始まっているのだ。

昔々のBAND名は簡単だった。言い方変えるとダサかった。ヒネリもなくただそのままってのがほとんど。俺の小学中学時代、1950年代から60年代のBAND名は、地名やリーダーの名前、それと●△◆☆ブラザ―ズ(=シスターズ)みたいなのがよくあった。
それはそれでストレートでわかりやすいってのもあったけど、あきらかにヤッツケでつけたな、ってのもあった。
それとも、バンドの名前なんて軽~く片づけられていたのかナ?
殊に日本のGSなんかだと、はっきり言ってナサケナクなるような名前だった。事務所側が「これでいってみよー!」なんて勝手に付けたってケースも多かったみたい。
パターンとして、動物(獣・鳥・虫・・・・)系の名前が半分くらいを占めていた。
BEATLESの意味だけが直進してしまったんではないかな。カブト虫って言い方だけど、BEATに変えてヒトヒネリ入れたってのは届かなかったみたいだね。
60年代の後半になって、ヒッピー・反戦・ウッドストック~のあたりからBAND名に「名は体を表す」みたいなのが増えてきて、BAND名を知るのもワクワクしてきた。そして、BANDの方向性やカマエ方なんかがわかって、納得したりコーフンしたりした。
つーワケで、今回は俺の通ってきたBANDの名前のことをちらっと書いてみたい。チョー個人的なことで、マコトに申し訳ない。まんずまんずすまんすまん。
きりなくだらだらするので、セッション的なBANDは省くことにする。

【鹿鳴館】1973年~1974年
高校を卒業した次の年、葛飾バッタ村のコンサートがあった。それまでずっと一人で歌ってきたが、急ごしらえでBANDを作り演奏した。メンバーは俺以外、葛飾野高校卒業生という編成で、GUITAR/S田・BASS/U澤(ORANGE COUNTY BROTHERS=OCB)・DRUMS
/???忘れた、の4人。俺の唄を4曲か5曲くらいやった。
この時のBAND名はS田が飼っていた犬の名前だった。それは恥ずかしいから公表しない。
翌年、第3回のバッタ村コンサートで「はっぴいえんど」みたいなBANDにあこがれ、日本語のロックをやりたくて結成した。
初期は俺が詩を書きS田が曲を付けて、「ゆでめん」からのパクリみたいな曲が多かったけれど、最終的にはアメリカ南部の音に影響されていった。
命名者は俺。日本語=和と、ロック=洋で「鹿鳴館」ってのを考えたんだけど、今、口にしてみるとヘビメタBANDみたいだなぁ。
あと、英文字表記だと「ROCK MAY CAN」ネ。ここダイジ。でもないか・・・
S田がM大生になったので、京王線に乗ってI校舎や渋谷のSスタジオなんかで練習した。ライブハウス・コンサート・学園祭・・・、話が来ればどこでもやった。コワイものなんてなかった。音が出せればシアワセだった。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川(オレ)・GUITAR/S田・BASS/Y本・DRUMS/K田(OCB)後にK松・VOCAL/A尾の5名。
オレ以外はみんな大学生だった。

【DIRTY MERE COUNTRY BAND】1974年~1975年
鹿鳴館がメンバーの卒業・就職などで解散した。
その頃、俺とY本はカントリー音楽に惹かれていって、二人で「黒金音楽団」てのを作った。彼の部屋(黒金マンション)で曲を作ったり、録音したり、あちこちのライブ(高田馬場「???」や北千住「甚六屋」、小岩「???」)で演奏し楽しんでいた。
バッタ村のシンガーソング&ライターN川がそこに合流、結成された。
しばらくして、高校生だった高杉康史(やっちゃん)も加入、4名で活動した。
命名者は、N川。彼がその頃好きだった、「NITTY GRITTY DIRT BAND」からだと思う。「汚れてて単なるカントリーバンド」って意味だって聞いた。
俺とN川のオリジナル曲を中心に、JUG BANDからBLUE GRASSまで、やりたいモノだけをやった。
活動期間は、1年と半年ちょっとぐらいかな。新宿「ヘッドパワー」「開拓地」・三ノ輪「モンド」・立石「ぴいこ」・J大学祭・M高校文化祭・横浜のワケありパーティー・・・、思い出せるのはこんなトコ。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・BASS/Y本・VOCAL&GUITAR&BANJO/N川・F,MANDRIN/高杉康史。

【SON OF A GUN】1976年
Y本が通っていた音楽学校(六本木にあったプロ志向の奴らの学校だった)で知り合ったメンバーで結成した。メンバーの居住地がバラバラだったので、練習場所に苦労した思い出がある。青山や武蔵小杉なんかの貸しスタジオで練習した。
みんな上手でテクニックはあったけど、なんかまとまりがなかった。俺以外は学校の延長でいたのかなぁ・・・。
俺の曲もやったけど、Bonnie RaittやMaria Muldaurなんかもやったなぁ。メンバーの意向で・・・。そこらへんにもムリがあった。
最初の頃は、BAND名もなかった。2ヶ月くらいして、練習後の呑み屋で俺が強引に決めた。「コンチキショ―」ってな意味で、いい方にも悪い方にも使われる言葉だけど、ここにもムリがあったな。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・BASS/Y本・PIANO/Sa田・GUITAR/???忘れた・DRUMS/???忘れた、の5名。半年くらいの寿命だった。

【COUNTRY DRINKERS】【新高ドロップス】【プラサーズ】1978年~1981年
やっちゃんとは酒飲みバンドとして、「DIRTY MERE」以後もちょこちょこ演奏していた。「チャイナパンプス」とか「できんぼーいず」って名前も使った・・・
二人だけだとちょっとサミシイのでU澤に相談したら、彼がその頃加入してた「エドズバム」のフィドル弾き/小島康夫を紹介してくれ、3人で演奏活動を開始した。
主に西荻周辺の演奏が多かった。葛飾区立石のライブ喫茶「ぴいこ」でも一度やった。
BAND名はいい加減半分、シャレ半分で変えていった。
「COUNTRY DRINKERS」は、ずっと前から。やっちゃんと二人でやっていた頃からなんとなく付いてた。
「新高ドロップス」は「ぴいこ」でやった時だけ。俺が考えた。
「プラサーズ」は、当時やっちゃんが働いていた「ほびっと村/プラサード書店」から、小島が命名した。あの笑顔と共に。
メンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・F,MANDRIN&GUITAR/高杉康史・FIDDLE/小島康夫。


COUNTRY DRINKERS/久我山O内パーティー 
PHOTO=なべいち

【GRANDMOTHER JOINT】1978年~1980年
バッタ村の活動はミニコミ誌の月イチ発行だけになっていった。
それでも音を出していきたくて、千葉県市川市でコンサートを3年くらい続けた。
「JOOK JOINT JUNK」ってコンサートタイトルを付けて、酒とつまみを持ち込み、音楽と騒ぐのが好きな奴が集まるパーティーみたいなフリーコンサートだった。
その時だけ演奏するBANDという形で結成した。
初期のメンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・BASS/Y本・PIANO/Sa田・FIDDLE/小島康夫の4人。
その後、GUITAR/U田・DRUMS/W田・DRUMS/M田・BASS/U澤なんかに手伝ってもらった。
命名者はY本で、「お婆ちゃんのブットビ葉っぱ」。
なんか効きそうじゃない? って言ってた。


GRANDMOTHER JOINT
/Sa田・M田・U澤・小島康夫・U田・オレ

【すちゃらかしゃいにんぐ】1982年~
現在進行中のBAND。
現在のメンバーは、VOCAL&GUITAR/日川・GUITAR&F,MANDRIN&BANJO/高杉康史・BASS/宇佐見和夫。それとマドマゼルねーちゃんのACCORDION/竹廣類。
最近はこの4人で動いている。
結成の経緯とかそこらへんはこのブログであちこちに書いてるので省略。
命名は俺。
小島の墓参りの帰りに、小島の高校の同級生がやってる水道橋の呑み屋に寄った時、やっちゃんとうーちゃんに「BANDの名前なんだけど、こんなのどう?」と、2つ考えた候補の中から選んでもらった。
というワケで3人の総意が込められている。(そんなタイシタものではないか?・・・)
出どころは、吉本喜劇「スチャラカ社員」とジャック・ニコルソン主演映画「シャイニング」から・・・、なんてさらにどーでもいいか?


すちゃらかしゃいにんぐ/初期のすちゃらか 
画=小橋義寿


《営業2課 じゅんぼう》

0 件のコメント:

コメントを投稿