毎年いつもの場所 |
一体なにを思っていたのか、ほろ酔いで気分があっちこっち跳んでいた。村八のチャ―ボ―がおれたちは植物のように生きるんだと言ってたと、話してくれたシンナーにはまった小学校の時の同級生のことや、耳の手術した年には5~6回花見に来たよなとか、突然サンタナの曲がぐるぐる回ったりしたり。相変わらず連絡の取れない奴のことや、友部と一緒にやったよと話したら、へえっと言ったヒロシの嬉しそうな顔を思い出したり。
クリスマスイブの夜9時位に知らない携帯から電話がかかって来た。とりあえず電話に出て見たらキン子だった。「ウサ公、なんで電話つながらないんだよ」と言ったが、酔っ払って深夜に旦那と間違えて3回も電話してきたから、着信拒否したんだとは面倒くさくて言わなかった。Oに電話が回された。「今ヒロシの通夜やってんだよ。明日が告別式で、おまえ、まあ、来れたらこいよ」
Oは小学校中学校高校が同じだった、しかし組は一度も一緒になった事はなかった。中学では3年間剣道部で一緒だった。高校では音楽部で一緒でフォークソング同好会も一緒に始めた。弟のヒロシも小学校中学校は同じだったが高校はK高校へ行った。何故か知らないが一級下だったので小学生の時から知っていた。中学ではやはり剣道部で、高校の時は地域のサークルで一緒だった。それも兄貴が入っていたからだった。そのくらいまでは兄貴の後をついていた感じだった。ヒロシは高校を出てしばらくすると「俺家でるから」と言って大阪へ出てった。。すでに布団は鉄道貨物で送っていた。大阪では新聞配達をしながら、休みの日には京都のディスコへ出かけ、女の子を引っ掛けて遊んでいたらしい。ある時Oの家へ遊びに行ったらOは不在でかわりにヒロシが出て来た。「うさちゃん、チック コリヤって知ってる?」「いや、知らないけど」「ちょっと待ってて」と言って、ギターを取りに行き「リター トゥ フォーエバー」のテーマを弾きだした。いつも間にギター弾けるようになったんだろうと思いながら聴いた。曲は新鮮でいい感じだった。大阪にいた時はよくジャズ喫茶にも通っていたと言っていた。ある時はサタディナイトフィーバー」を5回も6回も見に行き、行きつけの喫茶店「バゥルー」でパーティをやっ時にはジョン トラボルタそっくりに踊った。
こんな時代もありました |
ファミリーかつしかというタウン誌があった。その編集している人がページあげるから何か書かないか言ってくれた。わしとじゅんちゃんとOとで原稿を書いた。Oはすぐに飽きてしまい。ヒロシにふったらいいよと言って原稿を書いてくれた。最初の原稿だったとおもうけど、Chi - Litesのことを書いてきた。内容はほとんど忘れたが、石を遠くに投げたら地平の果てまで飛んで行って星になった、チャイラツ。そんな内容で終わっていたと思う。
きっとそんなことを思い出していたんだろうとおもう。おまえも星になったんだな。
すちゃらか・たまらん・うーたろう
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