僕は作文がすごく苦手だった。課題が自由であっても何時も何を書いていいかわからなか
った。結局、今でもおぼえている作文は一つだけだった。何故おぼえているかというと、
たった一度だけ教壇に上がってみんなの前で、自分の書いた作文を読まされた事があった
からだった。その内容は、「浜辺の歌」を歌うと前の年に臨海学校へ行った時の事が思い
出されるというものだった。先生は「みなさん感想文というのはこういうものです」と言
ってほめてくれた。作文というと、いつも前に出て読んでいるのは、J子さんでほとんど
毎回だった。ある時はオリンピックを見に行った時の作文が新聞に載ったくらいだった。
「浜辺の歌」を歌うと臨海学校を思い出すというのはその通りなんだけど、実はもうひと
つ理由があった。
僕はあまり気が進まない足で学校へ向かっていた。臨海学校なんて別に行きたくもなかっ
た。海が好きなわけでもないし、泳ぎも上手なわけじゃないし、家の裏庭にござを敷いて
寝転がっている方がよかった。校庭に着いてみると、ほとんどの子が集まっていた。まわ
りの同級生達はすでに興奮状態で、ペチャクチャ喋りまくっている。そんな中でぼんやり
していたんだけど、なんとなく横を見ると、見かけない女の子が座っていた。白いワンピ
ースに帽子をかぶってバッグを横に置いていた。そのバッグの上には「ファーブル昆虫記」
という本が乗っていた。ひと目見てドキッとしてしまった。転校生かな、でも突然今日か
らなんて訳ないし。誰だろう?みたことのない子だ。ショートカットの髪に黒目がちな眼。
ほっぺたのほくろ。あれっ。T子さんだ。いつもおさげ髪を三つ編みにしていたのに、髪
を切ったんだ。まったく見違えてた。かわいいなあ。遠くを見るふりをしてそっと横目で
見る。校庭に着くまでの気分は、もうどこかへ行ってしまった。その後、臨海学校へ出発
した。千葉県の岩井海岸だった。海から5分位の民宿に泊まる事になっていた。着いてそう
そう班長会議に呼ばれた。T子さんも来ていた。班長会議は毎日夕方おこなうと先生がお
っしゃった。海に行って休憩してお昼を食べて、また海に行って休憩してだったのか。途
中勉強とかしたのか。実際の活動で憶えている事はもうほとんどない。海に行っている時、
T子さんを探したがみつからなかった。でも班長会議でぜったい会えるからいいかと思っ
ていた。
9月になって新学期が始まった。相変わらず僕はT子さんの事が気になっていた。ただ気
がつかれないように、何気なくそっと見ているだけだった。ある日クラスの新聞班で一緒
のJ子さんが、わたしはN島君が好きと言った。ぼくはへえ~っと思ったが。なんか変だ
なあと思った。J子さんとは一学期から新聞班で一緒でいつもケンカばかりしていた。N
島なんてただ背が高くてちょっと太っていて、たいしたことないのに、なんでそんな事言
うんだろう。そんなことが気になってきたら、いつの間にかJ子さんにちょっかいを出す
ようになっていて、夏休み前のようにけんかをしだした。T子さんのことはすっかり忘れ
ていた。ある時なんかは放課後、帽子をとられて、いつか返してくれるだろうと、ずっと
待っていたら全然返してくれないので、しょうがないので近所のYちゃんと校庭で遊んで
いた。その後教室へ戻ったけど誰もいないので、帽子のことはあきらめて家に帰ることに
した。すると帰り道にJ子さんとSさんが僕の家の方から来るのに出会った。J子さんは
顔を赤くして下を向いていた。Yちゃんは、きっと帽子をKちゃん家もっていたんだよと
言った。家に帰るとおばあちゃんが、Kちゃんあんた学校に帽子忘れたの?さっき女の子
が届けてくれたよ。と言った。
J子さんとは放課後新聞班で相変わらずけんかばかりしていた。僕はいつのまにかT子さ
んのこと見向きもしなくなっていた。それでも、夏が来て「浜辺の歌」をいつのまにか口
ずさんでいると、臨海学校とT子さんのことを自然とおもいだしてしまう。
浜辺の歌
林古渓作詞・成田為三作曲
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ 忍(しの)ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
すちゃらか・たまらん・うーたろう
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