あび太風に題名をつけたら恥ずかしくなった。
まあ、そんなことは気にしないで続ける。
去年CDを作ろうと半年余り時間を使った。
発売にはいたらんかったが、試聴盤という事でお世話になった人には配ろうと言う事になった。
特に聞きたい人がいた場合にはカンパでお分けしようという事になった。
大学時代の友達が何人かいるのだが、今はほとんど交渉がない。以前に勤めていた会社に入ったころまではつき合いは続いていたが、大阪へ転勤になって結婚してからは、どういう訳か連絡を
取らなかった。実家の方に電話があったかもしれないが、そういう場合ほとんどわしのほうに連絡をくれなかった。が、実際は無かったのかもしれないが。
CDを送りたいと、すぐに頭に浮かんだのは大学時代の友人SMZだった。
SMZは金沢の街から東京へ出てきて、最初に住んだのがじゅんちゃんが生まれ育った新小岩だった。ある日授業に出ると前の机に二人の男が座っていて何気なく話しかけると、一人がSMZで
もう一人はSSKだった。SSKについてはすちゃらか前夜でちょっとふれた。それから時々三人で
話したり飲んだりした。部屋にも遊びに行った。SMZの新小岩の部屋は隣が小学校で朝の8時か9時に「これからインディアン体操を始めます」と元気な大きい声が聞こえその後の体操が始めると
もう寝てなんか居られなかった。前夜の酒もさめないうちに起こされてとても閉口したが、隣が小学校というのはたまったもんではないなあというのが感想だった。
ある日SMZが学校に来なかった。結構真面目に出てきているのに、わしとSSKは心配した。
「具合が悪いのではないか?」二人で新小岩の部屋に訪ねた。が、元気だった。給料日だった。
当然のことながら二人でおだてて近所の「ふるさと」で酒を奢らせてしまった。すまん。
SMZが新小岩から引っ越した先は現在やっちゃんがやっている「のみ亭」の先にあった「おふくろ」
の角を曲がってすぐ先を左に入ったアパートだった。二階の東南の角部屋でとても日当たりが良かった。まだ高いビルもなくて見通しもとてもよく、良い部屋だった。ある時夜中に訪ねて行った。
電気が消えていてカギもかかっている。だが寝息が聞こえる。あまり強くドアを叩かない方がいいと思って、軽き叩きながら名前を呼んだのだが起きてくれない。電車はもう止まっている行くあてもない。あきらめて外へ出た。電話を持っていて、起きていそうでなおかつ歩いていけるところ、考えつかない。アドレス帳を見た。阿佐ヶ谷の漫画家永嶋慎二さんの電話が書いてあった。電話をしたら阿佐ヶ谷南口に「トレビア」という朝までやっているロック喫茶があると教えてくれた。後で聞いたがそこのマスターは「薔薇の葬列」に出ていたらしい。連絡もなく夜中に人を訪ねるのは良くない。同じような事が東小金井でもあって、その時もアドレス帳でさがして駅の反対側のKANちゃんの家にTKHと泊めてもらった。すいません。
SMZのふるさと金沢へは4回行った事がある。最初はSMZのステレオを二人で夜行列車に乗って運んだ。SMZの実家の2階の昔蚕を育てていた場所で寝た。友人のTKとJUさんともあった。
気のいい友人でわしの事を名前で呼ばずに「カツシカ」と呼んでいた。おでん屋で飲んだ。もっきり屋へも行った。
じゅんちゃんもやっちゃんもSMZの事は憶えていて。OBさんの家で「ホンキ―トンクウーメン」で踊った時の事が何時も出てくる。「足をこう出して、それからこうさげる。手はこう動かす」
何度か連絡を取ろうとしたが、実家に帰らないうちにわしの部屋の机の中身は整理されて必殺のアドレス帳は消えてしまった。なんとかCDを送ろうと電話番号案内で聞いてみたがダメだった。ネットで検索すると名前が出て来た、そのうちのひとつは新規販売店のテープカットの写真で、右の端でテープを切っているのは、大分太ったが紛れもないSMZだった。そうか小松にいるのかと小松の電話番号案内にも聞いてみたがダメだった。するとグーグル+で1件ヒットした。名前は完全に一致。だがFBのように出身校とか住所とか出ていない。間違っていたらどうしようと思いそのままにしていたが、やはり確認してみようとメールを送った。「私は宇佐見和夫と申します。大学時代の古い友人をさがしています。もしM大学のF文科の旧姓SMZさんなら連絡を下さい。違っていたら無視して下さい。」すると返事が来た。「いやはやびっくりしました。SMZです。お元気ですか。また、一緒にお酒をのみたいですね。携帯番号は080.........です。」いやあ、わしもビックリした。本当にうれしかったよ。
営業一課 すちゃらか・たまらん・うーたろう
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