2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2013年10月31日木曜日

俺を育てた唄 すちゃらかしゃいにんぐを作った唄

10月のはじめ、のみ亭で開閉商事の営業会議が行われた。
スケジュールの確認をしながら、練習もしなくちゃならないし、ライブもやりたいし・・・、
時間は無いし・・・、酒は呑みたいし・・・、で、みんな「む~~~ん」となっていた。
そしたら、やっちゃんから「じゃ、昼間練習して、夜ライブにしようよ!」とナイスな提案。
「おぉ、スバラシー!」「な~るほどネ。」と、意味な~し。ではなく異議な~し!。
でも、よくよく考えてみたら、すちゃらかライブの時って昼間リハやって、グダグダ呑ん
でから突入してるから、流れ的にそんなにビックリする事でもなかったのね。
でも、それならいつもと違った展開でやろうという事になり、選んだ曲が・・・・・・

1.サイバイサ        詞/田舎芝居 曲/H.WOODS
2.YOU AIN’T GOING NOWHERE  曲/BOB DYLAN    
3.COWPOKE      曲/TRADITIONAL 
4.500マイル       曲/HEDY WEST 
5.リンゴの木の下で     詞/島田 磬也 曲/E.V.ALSTYNE 
6.私の青空         詞/堀内 敬三 曲/W.DONALDSON

7.スィート ハート ナイト 
8.今夜ここにいて     
9.まるで君は       
10.ハーバーナイト      
11.チャイナタウン     
12.ラスト カゥボーイ ソング

日にちは10月27日(日)。ミッションネームは「飛ぶ前に歌え作戦」。
誰だ?! やけくそだな。なんていうヤツは! ん~マチガッテはないけど・・・。
前半は、他人の唄たち。
昔からやってはいるが、最近はあまりやってない曲ばかり。
後半は、「ハーバーナイト」を除いて、こちらもしばらくやってない曲たちとなった。
で、前半のよそ様の6曲についてちょっとご説明したい。

サイバイサ/21歳の頃(ウハッ! 39年前だ!)やっちゃんと出逢い、JUG BAN
Dの話で盛り上がった。お互いのやりたい唄が何曲かあって、その中のひとつだった。
初期のすちゃらかしゃいにんぐでは、いっつも演奏してた。
京都のJUG BAND 田舎芝居が「百万弗見つけた!」という1975年発売の1ST L
Pに入れてました。
原曲は云わずもがな「SIDE BY SIDE」です。

YOU AIN’T GOING NOWHERE/この唄はいつから歌っていたのだろう。か
なり古い。
DYLANの「GREATEST HITS Volume2」で初めて聴いたのだろうと思う。
19歳の頃だったか?
THE BYRDSをはじめ、たくさんの人たちで歌われている。歌詞にMcGuinn
という箇所もあるしね。
20代の頃、自分で歌詞をつけ、バッタ村のコンサートとか、あちこちのライブでいつも
歌っていたけど、オソマツな歌詞だなぁ・・・トホホ・・・。


BOB DYLAN
ジーパンの着こなしにもあこがれた


COWPOKE/ウッドストックのGOOD TIME ROLL BAND/MUD AC
RES(直訳だとぬかるんだ土地って意味なんだって。)の1972年「MUSIC AM
ONG FRIENDS」ってLPに入ってた。
古い友だちシロー(H谷J一)の結婚披露宴を1985年に新宿のライブハウスでやった
時、初めて演奏した。もう28年前だ。
カゥポークって、カゥボーイとカゥガールの両方を表す古い言葉なんだって・・・。
最近知ったんだけどネ。
これも日本語の歌詞をつけたんだけど、こっちはワリと気に入ってんだ。

500マイル/4年前にシローが亡くなり、通夜の帰り電車のドァにもたれ、流れていく
夜景をボンヤリ見てたら、同じメロデイーが頭の中をグルグル回っていた。初め、何の唄
か思い出せなかった。ずっとずっと口ずさみ、ゆっくりゆっくり詞をつけていった。
友だちが亡くなる悲しみって、あと何回乗り越えなくてはならないのだろう・・・。
原曲は、恋人との別離の唄みたい。最初に聴いたのは、PPMだった。中学の頃だったか
なぁ・・・。
500マイルって800Kmくらいっていうから、東京からの道路走行距離で青森県むつ市
の先あたり、西は広島県広島市のちょっと手前あたりになるらしい。
そう思うと、ぐっとイメージが近づいてくる。
アメリカだとどうなるんだろう? 時速100Kmでぶっ飛ばし続けて8時間、時速150
Kmだと5時間ちょっと・・・、まっ、走りっぱなしってのは実際はムリだけど、そんなに
遠くないのかもね・・・。
    
リンゴの木の下で/この唄もいろんな人が歌っている。すてきな詞。すてきな曲。すてき
なリズムだ。
2年くらい前に、T森C枝ちゃんに誘ってもらい、杉並区宮前の高齢者施設でこの唄を歌
った時、会場のお年寄り(9割はおばあちゃんだった。=女はツヨシ!)が女学生のよう
な歌声で合唱してくれた。いい時間だったなぁ・・・。

私の青空/初めて聴いたのは小学生だったのか? いや、もっと前かもしれない。
小学校の帰り道で「狭いながらも楽しい我が家~♪」のフレーズにはまってしまい、友だ
ちと繰り返し歌いながら、家に帰った記憶がある。
エノケンにはギリギリ間に合った。(亡くなったのは昭和45年/1970年。)晩年だけ
ど、テレビで対談とかゲストとかで出演してるのを見た記憶がある。
俺の「あぁ・・・ここでこの時代に生まれてよかった。」を噛みしめる時のひとつだ。
歌謡曲とか流行歌って、銭湯とか路地裏で大人たちが歌っているのを聴いて、意味はわか
らずに自然と覚えていった。あと、浪曲とか落語とか都々逸とか・・・。
オトナって、そういうコトに関心があるのかぁ・・・なんて、距離感を感じながらも、そ
っち方面なんかはユルユルっと勉強していった。
今みたいにチャチャッと録音して後から・・・、なんてのがないから、覚えたい時は全神
経集中で覚えていった。その分だけ中身濃かったね。
そんなものたちに俺は育ててもらった・・・。
そして、すちゃらかしゃいにんぐに続いていく・・・。


榎本健一
渡辺のジュースの素にも育てられた


ライブの方は、急ごしらえのセットだったにもかかわらず、ステキなおねーさんたちとヨ
ーキな酔っぱらいオヤジたちが集まってくれて、いつものとおり大騒ぎで楽しい一夜だっ
た。アンコールの「ビァ樽ワルツ」で、みんなが合唱してくれた時、作者としての幸せを
いただいた。みなさん、ありがとう!


SWEET HEART な夜であった
 photo Yukachan

では、次回は11月23日(土)に同じくのみ亭で、あのJJF(ジョンジョンフェステ
ィバル)のライトキックフィドラーじょんちゃんとすちゃらかしゃいにんぐでGLOOV
IN‘な夜をお届けするゼ!
来ないと100年間くらいコーカイするかんな!
ホントだよ。



《営業2課 じゅんぼう》

2013年10月26日土曜日

CD発売中止のお知らせ

今秋発売予定だった、すちゃらかしゃいにんぐ初CDは、制作上の事情により中止となり
ました。

応援していただいた方々、また制作にご協力していただいた方々、たくさんの期待をお寄
せいただきましたが、私たちの望んだ形にはなりませんでした。

本当に申し訳ありません。お詫び申し上げます。

すちゃらかしゃいにんぐ
日川 淳一
高杉 康史
宇佐見 和夫

2013年10月18日金曜日

初取り組みはたみゃらんかった ー10・16のみ亭LIVE報告ー

南正人と梅津和時。このFOLK、JAZZ界それぞれの両横綱の初取り組み。
こんなとんでもない計画の発端はこんなカンジだった。
たしか、3月7日の、多田葉子ちゃんと都丸智栄くんののみ亭LIVEの時だった。
聴きに来ていた梅津さんに、かねてから思っていたことを話してみた。
「梅津さん、ナミさん(南正人)とやったら面白いんじゃないですか?」
「いやぁやっちゃん、ナミさん尊敬してるんだけど、まだちゃんと会ったことなくて、
よかったら紹介してよ」。
この返事で、この取り組み計画は80パーセントいけると思いました。
「じゃ、ナミさんに伝えときます」、と云って、6月22日のナミさんLIVEの時に、
ナミさんに直接ふってみた訳。
「ナミさん、梅津さんにナミさんのこと話したら、紹介してほしいって云われて・・、
紹介するなら一緒に音出しっちゃったほうがいいですよね」と云うと、
「梅津くんもボクも、生き残った者同士だもの、共演することになんのためらいもないよ。
是非!」
でも、お互いスケジュールががちがちの横綱同士なもんで、なかなかタイミングが合わなくて、
やっと合ったのが、10月16日。半年かかって実現となりました。

当日、6時前には2人とものみ亭に来ていて、世間話などしているが、
音合わせする気配がまったくない。そのうち梅津さんは飯、ナミさん散歩。
あらら、ホントにぶっつけ(前戯なし)で、ナミさん云うところの、
各駅停車LIVEは、発車してしまったのでした。

1駅、2駅はディランシリーズで、「ミスタータンブリンマン」「時代は変わる」
まずは有名曲で、互いのヴァイブレーションを合わせる訳ね。なるほど。
3駅目は初めて聴く「夜霧よ」。ちと演歌調。梅兄ぃのむせび泣くようなクラリネット。
4駅目は「若い頃書いたフォークソングです」、と云って歌い出した曲。
途中、ナミさんのハモニカと梅兄ぃのクラが重なり、美しくシンクロ。
5駅めは、風来坊の歌。「♫何かがオレの中でポロロンポロロンと鳴りだす~」
胸に染み入る歌とクラリネットが素晴らしい。ホントに初取り組みなの?。
1部ラストはあの「スポットライト」。座っていたふたりがおもむろに立ち上がり、
ハモニカとサックスの掛け合い。梅兄ぃ、吹きまくって吹きまくって休憩。






2部は、1960年代にナミさんが、貨客船で太平洋渡った話などして、
スペイン語の歌シリーズから・・・。
まず、7駅目、「ベインテ・アニョス」「20年」。マリア・テレサ・ベラの名曲。
8駅目、「ドス・ガルデニアス」「クチナシの花をふたつ」、イソリーナ・カリリョの
これまた名曲。梅兄ぃのクラリネットにしびれちゃったナミさんが、
「音楽ってすごいね、今日はみんなすごいことに立ち会ってるね」、とコメント。
さて、ブエナビスタから2曲歌ったあとは、Uちゃんのリクエスト。
古くからナミさん聴いてる人には懐かしい、「ラ・ジョローナ」「泣き女」、という
メキシコの民謡。同名の漫画を、永島慎二さんが描いてたっけ・・・。
さて、10駅目は日本語に戻って、「♫遥かなる国境の街エルパソ~」から始まる、
「太陽讃歌」。ニューヨーク、アフリカ、スウェーデンと地名がとびだし、
「♫自由って暴れ馬のたてがみにしがみついていた~」、と歌い上げながら、
ふたりとも立ち上がる。オイラも盛り上がって、ビールをグイッ。
11駅目、まってました、大名曲「あたしのブギウギ」。成田ヒロシさんの詞に、
ナミさんが曲をつけて、みんなで歌える歌が出来ました。浅川マキさんも歌ってた。
梅兄ぃのバスクラ、底からこみあげてくるようだなぁ。
続きまして、ナミさん、「♫春の夜風がポンと肩たたく~」、気持ちよさそうに、
温泉つかりながら歌ってるみたいでした。




後半は、珍しくナミさんが弦切って張り替えたり、トイレに行く人がいたり、
各駅停車度がさらに増してます。
そして、横須賀署にパクられてる時に作って、九州のクラブで、
大勢のヤクザの前で歌って、大うけして、ママたちのおひねりで、
かなりうるおったという歌。
14駅目は、知らない歌。ちょっとロック調で、「♫山の中でも暮らした、
ムショ暮らしもした~」
「♫変わらぬ愛は変わりはしない~」、と歌い、梅兄ぃは途中で、
クラからサックスに持ち替えて、
顔真っ赤にして吹きまくってます。いいぞいいぞ!。
これで終着駅だったのだが、もちろんアンコールですがな。操車場までね。
なんと、聴きたいと思ってた、「こんなに遠くまで」。大好きなこの歌が、
この組み合わせで聴けるなんて、本当にシアワセです。
クラリネットが、しっとりうっとりさせます。










さて、これでホントに終わりと思ってたら、17日が64歳の誕生日の梅兄ぃのため、
ナミさんが、「♫ハッピーバースディトゥユー~」と歌いだす。梅兄ぃバスクラ。
もちろんお客さんも全員参加。そしてさらに64歳ということで、
ビートルズの、「When I'm 64」。
なんと、2番のところで、梅津さんがトツゼン歌いだした。
「♫今よりちょっぴりオトナになって、頭がすっかりハゲても
あ・い・し・てくれるかな~」。会場は大コーフンです。
いやいや、かっこいいプレゼントでした。
そして、ケーキ屋梅ちゃんのプレゼントのケーキをみんなで頂く。




全てが終わった後でふたりは、
「音楽やってて本当に良かった」、「ボクもですよ」、って話し合ってました。
梅津さん、64歳、ナミさん69歳。ほんでもなお元気。
ふたりとも、歳取るの忘れてるってことだな。
いやしかし、ホントにすごいもん見させて、聴かせていただきました。
オイラの思いつきにのってくれたおふたりに、カンシャカンゲキなんでございます。
とってもステキで、とってもマブシイおふたりでした。え?、ハレーション?、何?。

開閉商事営業3課  やっちゃん


「2013年、お!な姫たち④」
   ・Chima-そらのね
   ・Drop's-Looking for
             -DAWN SIGNALS


Drop's-DAWN SIGNALS

2013年10月10日木曜日

あぁ 浅草の灯よ いつまでも

お姉さんのつま弾く三味線に~♪
と歌っていたのはこまどり姉妹だった。
こまどり姉妹に浅草はよく似合う。
ザ・ピーナッツにシャボン玉ぐらいよく似合う。
でも、今夜は岡大介の「浅草木馬亭コンサート」なので、
岡くんのつま弾くサンシンに~♪
てなぐあいなのである。
岡くんは、一年に一度木馬亭で歌ってる。
今回でかれこれ5年目になるそうだ。
いやはや・・・えらいエライ。うんうん。


んなワケで、この日のために何日も前から入れ込んでいるすちゃらか3オヤジと開閉商事
関係、及び岡大介木馬亭観覧ツァーのメンバー。
正しい観覧の心得のため、16時「N浅草」3階に集結した。
順不動で・・・、すちゃらか3オヤジ・Aビ・花Yかちゃん・K子ちゃん、ちょいと遅れ
て、Aりさん&Tるみちゃん・Eミリア・Pカ・Uらちゃん。
みんなとにもかくにも、まずはビール。
「カンパ~イ」
「ウグウグ・・・」
みんな贔屓のアテモノを頼み、話題を転がしていく。
んで、あたしゃ焼きそば。
そいから、話に混ざり込む。
最近の浅草は、ひと頃の低迷さを乗り越え、活気を取り戻したみたいに見える。
人の流れが良くなっている。
まぁ、いいことだね。
呑み屋も、この店に関しては賑わっている。
浅草で、日曜の夕暮れ前、酒と肴と浮かれた話。
そんでこれから岡大介を聴きにいくとなりゃ、こりゃチリツクテントンシャン! てなも
んだ。おぅ、柳陰でもいくかい?
みんなもだんだんいい調子。
相も変わらず、学校じゃ教えてくれない話で盛り上がります。
「昔ゃ、木馬亭っていえば、ケロヨンがバッハッハ~~イ! ってやってたもんだ。」
「それは木馬座だろ。」
「えっ! いつから変わった?」
ショーがないねぇ・・・おまいさんったら。おぅ、直してもらいなよ。
それはいかん。さんまは芝にかぎる。
よせやい、また夢になるといけねぇ・・・。
おっと、ちょうど時間になりました。
おねーさん、お勘定。
今ナンドキだい?
なんてなことで、ぞろぞろだくだくと長屋の花見みたいな一行が木馬亭に入ります。


  
         
おぅ、ジャマするゼ


もう・・・こうしちゃいられねぇ!



するってぇと・・・、予想どおり(?)、館内は超満員。立見席も出ている。
カブちゃん・Mりちゃんとは、ここで合流。
客席の大部分は、50代から60代の年齢層で占められている。
ちょうど岡くんと親子ほどのヒラキだ。
息子を見るような目線だろうか。
岡くんは、あっちでもこっちでも、いろんなとこで親孝行を広げている。
地道な営業活動ってヤツは、こんな風にアラワレルノネ。
もちろん、岡くんの魅力があってのことだけどネ・・・

 

ざわざわ中


これはこれは、先生!


開演までもう少し。
会場は、期待感ってやつが、あったまって、ふくらんできている。
何かが始まるコーフンだ!
いいカンジでざわざわしている。
ザ・バンドがいうところのステージ フライトってヤツだ。
心地よい酔いに、さらに缶ビールをかぶせていると、場内にDYLANの「ハッテイ・キ
ャロルの寂しい死/THE LONESOME DEATH OF HATTIE CARROLL」が流れてくる。
やっちゃんと顔を見合わせ、「こりゃ、何んかあんでないか?」
「ん・・・? 前フリ?」
などと酒のつまみにする。
さて、岡大介登場。
青色のシャツに茶色のオーバーオールという、狙いに狙ったコスチュームで、大きな拍手
の中、現れた。
千両役者の立ち振る舞いで、ギターを手にする。
そこに、ギブソン ハミングバード。
ありゃりゃ、こりゃノーヒントだよ。
70年代テイストの吉田拓郎でないかい?
「ハッテイ・キャロルの寂しい死」を聴いた吉田拓郎が、そこに詞をつけ「準ちゃんが今
日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」という唄を作り、今ここに岡大介が「フォークソン
グが岡大介に与えた多大なる影響」という唄を引き継いでいる。
ディラン~よしだたくろう~岡大介のリレーショーが流れていく。
こうやって、受け渡されていくんだな。
その後、「東京」「ライク ア ローリングストーン」など、フォークソングを主にして、第
一部は終了した。



         
「平成の岡大介だ!


休憩をはさんで、第二部はサンシンに持ち替え、演歌のパレードだ。
「のんき節」「ぜいぜい節」など、客を上手に乗せ、歌わせ、手拍子させ、客席からのツッ
コミを寸止めでかわして切り返し、アンコールまで突っ走った。
お客さんは大満足。
開始よりも大きな拍手で終了。
200人以上、250人位いたんじゃないかな?


さぁ、いい気分のままで、今夜を締めよう!
煮込み通りで打ち上げだ!!!
呑んで、楽しんで、また呑んで・・・、
痛快ぶっちぎりの日曜でありました。


頼もしくて、いいヤツ

どこでも宴会ドァなヤツら




《営業2課 じゅんぼう》

2013年10月6日日曜日

〇月〇日〇曜日 その7

「ねえ、へび飼ってもいい?へび飼いたい」
「えっ?へび~い?あかん。気味悪い」
「そんなことない。かわいい。前に沖縄でニシキヘさわったら、すべすべして気持ち良かった」
「ニシキヘビ~い。そんなん絶対あかん」
「ニシキヘビなんて飼う訳ないだろ。ふつうのへびに決まってるやろ」
とかなんとかになってしまって、知り合いのBBちゃんが始めた阪神国道駅の爬虫類屋さんへ
出かけた。へびはあまり仕入れていないようで、種類は少なかったがカルフォルニアスネーク
のアルビノが薄いピンクがかった白の地肌で、横に薄く黄色い線が入ってきれいだったので、
それに決めたらしい。わしも一緒についていったが、やはりちょっと恐いのでへびのところは
見ないで金魚やトカゲなんかを見ていた。と言って赤や黒のへびだったら、反対したかった
ので、後から見て白いへびならいいだろうと決心した。BBちゃんはこの後へびの品ぞろえを
増やした。わしらが最初にへびを買った客だが商売になるとふんだらしい。実際その後は良
く売れたらしくえさも自家製でつくって、いやえさはマウスの子供なので自分で繁殖させて全
国発売していた。結構もうかったようだ。一度一緒にえさを売る商売をしないかと誘われたが
断ってしまった。やっていればマウス成金になれたかもしれん。買ってきた当初は虫籠に入
れて飼っていた。鉛筆くらいの大きさで、そんなに小さいとなかなかかわいいもので、最初は
おそるおそるさわったものだが、じきになれて平気でさわれるようになった。ただえさの方は
ようさわれんかった。まだピンクのヌードマウスと呼ばれるやつで、それをあげるとえさは顔
の倍くらいあるのに、口を大きく開けて一生懸命ほうばりすこしづつ飲みこんでいく。顔はま
るで汗をかいているように思えるほど真剣な表情で、見ているこっちがかわいそうになるほ
ど大変そうだった。

いまいちゃんもどき


名前はいまいちゃんと名付けた。何故いまいちゃんかというとカミさんの好きなバンドのギタ
リストが今井という名前でそこから付けた。ちなみに車を買った時、赤い車だった事もあって
あっちゃんと名付けていたが、それはそのバンドのボーカルの桜井くんからとったとのこと。

最初は虫籠だったが、若干大きくなってからは水槽に入れるようにした。その間に二度脱走し
た事があった。一回目は休みの日の昼間だったが、見てみると中にいない「大変だ、いまいち
ゃんがいない。脱走した」と、大騒ぎしたが、台所の薄いピンクの床の上にいたので、すぐに
は見つけられなかったが、ようやく気が付いてもとにもどってもらった。二回目はわしが仕事
から帰って、何気なく除くと中にいない。こりゃ大変だ。カミさんが帰ってきたら大騒ぎにな
る。一人で懸命に探した。しかしみつからない。窓からも玄関からもどこからも出られないは
ずだ。しかしみつからない。カミさんが帰って来た。「えっ~。いまいちゃんがいないの~」
「どこなの良くさがした?」「さがした。さがしたはずだ。さがしたと思う。が、区割りして
さがそう」しかしみつからない。テレビの下の戸棚をもう一回見る。いない、が空のビデオケ
ースを持ち上げたら、「いたあ!」逆さまにして置いてあったビデオケースの中で寝ていた。


いまいちゃんの親戚


えさは時々まとめてBBちゃんの所へ買いに行った。カミさんと一緒に行くと、BBちゃんが
もう一匹どうっとカミさんに誘いをかける、カミさんはまんざらではないのだが、わしは「あ
かん。やめとき」「ええ~っ、でもこの子かわいいよ」「それはみとめる。でもあかん」
そろそろヌードマウスではなく、もうちょっと大きくなったマウスでも大丈夫みたいなのでそ
れなりの大きさのをあげていた。ある時、黒門市場のペットショップを覗いたら小さいネズミ
を売っていた。「えさ買いに行くの面倒だから、もうこれくらいのならたべられるんじゃない
の」と、わしが言い。買って帰って食べさせたら、ようやく食べたのだが、しばらくしたらも
どしてしまっていた。へびも食べたものをもどすんだと、おもったがなんか申し訳なかった。
で、それからはBBちゃんの所で買ったマウスを食べさせるようにしたが、ある時あげたマウ
スはすごく元気で気が強かったらしく、マウスも食べられてなるものかと必死に抵抗して散々
噛まれたりして可哀想だった。また、ヌードマウスに戻す事にした。

へびを飼う人が結構多くなって、何故かというと手間がかからない。ごはんは1~2週間に一
回、排泄も多くなく、散歩も不要。夜泣いたりしない。動きもそんなに早くない。攻撃的でな
い。などなど。よくぬるぬるして気持ち悪いというが、実際にさわってみると、さらっとして
気持ちがいいくらい。夏なんかはひんやりして尚きもちがいい。


いまいちゃんそっくりさん


ある日の夜だった。いまいちゃんがなんか変わった動きをしているのに気が付いた。じっと
見ていると。体をそりかえらして鼻を床につけている。で、ぐっ~と押すのを繰り返している。
と、鼻の辺りの皮がむけて、それから床に体を押し付けてすこしづつすこしづつ、体を動かし
ていく。脱皮だった。時間をかけてきれいにむけていった。その後は相当疲れたのかぐったり
として、まったく動かなくなった。

突然ごはんを食べなくなった。変だなあと思って良く見ると。お腹がぷっくり膨らんでいる。
それも倍以上に膨らんでしまっている。病院へ連れて行って診てもらったら、レントゲン写真
を見せられ腎臓が片方はれているとのこと。どうしますかと聞かれた。どうしますってなんで
すか。と訊き返した。安楽死させるか手術するか、医者は手術するにしてもそういう手術の例
を聞いたこともないし、やるのも初めてだという。しかし、わしらの口から安楽死させてくだ
さいなどといえるわけが無い。手術が失敗して死んでしまうならそれも天命だろう。手術して
もらう事にした。手術が終わったと連絡が入り、迎えに行く事にした。病院に着き先生に話を
聞く。手術は成功したが麻酔が効きすぎたのか、まだ元気がない。あってみますかといわれ、
会いに行く。本当に何時も程の動きが無い。じっとしているというかぼう~っとしているよう
だ。カミさんが声をかけた「いまいちゃん」すると頭を持ち上げてこっちを見た。看護婦さん
がびっくりしていた。「ずっとおとなしかったのに声が分かるんですね」それから一緒に家に
帰って来た。

しかし、それから何年かのちの巳年の正月があける前に、残りの片方の腎臓が悪くなって死ん
でしまった。近所の公園にカミさんと二人で埋めてあげた。合掌。


すちゃらか・たまらん・うーたろう