2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2014年12月29日月曜日

2014年活動報告 7月~12月

COME GATHER ‘ROUND PEOPLE WHEREVER YOU ROAM.

7月20日(日)
西荻窪/のみ亭「夏のYOU GOTTA作戦」
●夏の夕方の大三角!●
桜がまだ蕾状態の3月、竹廣類ちゃんとのみ亭ライブをやったきり、4ヶ月も演奏をサボってしまった。
これじゃイカン! というワケで久しぶりのライブは、中身の濃い企画を立てた。エミリア・種ちゃん・貴ぽんの三名をゲストに迎え、クセ球変化球から直球勝負まで、変幻自在のワンツーパンチ。
抑えの切り札三本柱だ。
三者三様で持ち味を十分出し、あれやこれやの期待にも応え、大騒ぎのライブでした。
んなワケで、「こうしちゃいられない夏の夕方SHOW!」をゲストの三名に!!!

8月30日(土)
西荻窪/のみ亭「トリオスチャラカライン作戦」
●男前なのだ!●
類ちゃんのボタンアコーディオンから飛び出す音は、しなやかな直球で、ど真ん中にズドンとくる。
が、アコーを持たない時の類ちゃんは、大ボケ小ボケの連射魔で、その落差がスゴイ。
でもって、竹廣・・・ではなく、竹割りのような性格でサバサバッとしてて、男前のねーちゃんなのだ。
弾いても、ボケても、どの面(めん)もステキなんだなぁ。
3オヤジは全員、類ちゃんがダイスキなので、3人だけのヒミツの類ちゃんファンクラブを作った。トリオ・ザ・RFCだ!
誰にも言うなよ!
5ケ月ぶりの「すちゃらか+類ちゃんライブ」は、一週間前のリハから楽しいまま突入し、楽しすぎるまま終了した。
俺たちの「こういうふうにやりたいんだ!」という注文に、涼しい顔で要望以上のものを返してくれる類ちゃん。
頼りになるゼ!
では、俺たちを心底楽しませてくれる類ちゃんの面白すぎるセリフの一つひとつに
「ルイ冗談賞」を進呈するのでありまするぃ。

9月6日(土)7日(日)
長野県原村/奏での森くらふと「山のあなたの空遠く作戦」
●ヤッホー! なるほー!●
るーずぱんてぃ/朋音ちゃんからお誘いをいただき、初秋の長野・山梨へ演奏デビューに行ってきた。やっちゃんが都合悪く、不参加なので「淳」「宇」「類」の八ヶ岳山麓特別編成だ。
心配された雨もうまいことカワシ、「朋」のドラムもいいカンジで加わり、5曲スイスイと演奏、おいしい空気と拍手をたっぷりいただいた。
夜は宿舎で、演奏者&スタッフと楽しい宴会。るーぱんおっちゃん朋音ちゃん、せんえつけんちゃんやジミヘンねぇさん、もちろんうーちゃん類ちゃんも!
みんなで酒とツマミとバカを持ち寄って、宴はホンダラホダラカ濃さを増していった。
翌日は、隣町のS原クマさん宅へおじゃまして、おいしいご馳走をこれまたたっぷりいただき、それじゃお返しの演奏会ってことになった。ご近所の方もお越しになり、昼下がりのすちゃらかだ。
名刺代わりの3曲を演奏し、いずれ改めての再訪再演を約束。山梨の収穫も大きかったのである。
つーコトで、類ちゃん御用達お出かけアイテムのウクレレに「レレレのレ~賞」決定!
これでいいのだ!

11月24日(月)
阿佐ヶ谷/あるぽらん「アルポランなのであるぽらん作戦」
●類は朋を呼ぶ●
少々早いが、この日が「すちゃらかしゃいにんぐ」年内最後のライブとなった。
地元、そして「あるぽらん」の古くからの馴染客である、うーちゃんルートのお客さん。
さらに、のみ亭常連客からも多数の来場があり、店内は満員状態となった。
開始時間をちょいと遅れてスタートし、前半6曲+1曲、後半6曲はあっという間に終わった。
熱いアンコールもいただき、おまけの1曲は「サイフはカラッポ」だ。気分いいまま、エンディングもバッチリ。大きな拍手と歓声の中で終了となった。
「あるぽらん」に感謝を伝え、最後は5人で「Salud~!」をキメ、めでたしめでたしの2014年。
今年一年、めぐり会えた人、かかわった人、お世話になった人に熱い愛を込めて
Muchas Gracias!

12月31日(水)
西荻窪/のみ亭「本所製パンでつかまえて作戦」
●62群だぜ!●
本所高校生時代、3年の文化祭の時、うーちゃんと二人で歌ったことがある。デュオだ。
岡林とジャックスの唄を5曲くらいだった。
「またやってみる?」
「ん? やっちゃう!?」
ということになり、毎年恒例の大晦日「のみ亭年越し会」で歌う予定である。
多分やっている事であろう。
バンド名は「1年E組」。
44年ぶりなのだ。
結果は?
ん~・・・、まぁ相変わらずのはずだ。
変化はあるが進歩はない、すちゃらかしゃいにんぐ。
まな板の上の、「1年E組」なのだ。


第4回開閉展 
ライトショー=早退性理論による
3惑星大接近/アビンシュタイン


第4回開閉展
塩胡賞=クマのパン/ほーほちゃん


第4回開閉展
ライブSHOW=あるぽらんライブ
/マスター佐々木さん


《営業2課 じゅんぼう》

2014年12月26日金曜日

そもそもの話

小学6年生の冬だったと思う。
ん~・・・、1964年だ。
M野さんちが引っ越した。ってのを聞いた。
「探検に行こうゼ!」
俺は手下2~3名を連れて、M野さんちへ向かった。

M野さんちは町工場を経営してて、ちょっと前に閉鎖したことは知っていた。工場は大きくはないけど、ちっぽけでもなかった。
M野家の住居は、七人家族の二階家で、俺の家の一つ違いの路地にあった。
俺の歳より上に女一人男二人、下に女一人男一人の5人兄弟だった。
一つ年上のヒロちゃんとは、よく遊んでいろんなことを教えてもらった。
その当時の引っ越しは、今ほど家具も電化製品も多くなかったので、手間も時間かからず済んでいたのだった。
俺たちは硝子戸の玄関を開け、主の居なくなった家の中に入っていった。薄明りの中で部屋はガランとしていた。ここで、夏休みにみんなで宿題をやり、ふざけあったり、テレビで相撲を見たりしたのだった。
「いなくなっちゃったんだ・・・」
もう会えないというサミシサで、急に胸がせつなくなった。
何故だか、転校生というモヤモヤしたものに結びついてしまった。
階段を手さぐりで上がり、二階に入ってみた。二階は陽が少し射し込み明るい。
開けたままの押入れにギターがあった。横にねかされていた。
ガットギターだ。その頃は、クラシックギターって呼ばれていた。今でもか?
忘れたのか? 置いて行ったのか?
俺は手にして、ボロ~ンと鳴らしてみた。
「弾けるの?」
みんなが興味深々で覗きこむ。
「弾けないよ~」
俺は答えて、ギターをじっくり眺めた。持って帰ることにした。

ちょいと遡って3年生くらいの時、学校から帰った俺は畳の上でぼけ~としてた。で、音楽の時間に習った唱歌のような唄を口ずさんでたら、隣の部屋でいっぷくしてたオヤジとおふくろ(俺んちはちっぽけな工場をやってたのだ。)が、「淳一は音痴だね~」と声を合わせた。
「そうか・・・、俺は音痴なのか~」
歌はヘタだと思っていた。でも、自分なりに気持ちよく歌っていたのだが、自分以外の耳ではそういう評価なのかと初めて俺の実力というか劣等性を知った。
それから人前では歌わないようにした。
なもんだから、音楽の成績はいつも2だった。5段階のネ。
本人のメーヨのために言うけど、あとは5と4だったんだからな。おい!
歌唱テストの時は、常に無言無唱でいたのだから当り前だ。
1でないだけありがたいと思え! はい! 
でも、唄自体は好きだった。
歌謡曲(流行歌って言い方もあったな。)からポップス。
三橋美智也から弘田三枝子。
ロッテ歌のアルバムからザ・ヒットパレードまで、流れてくる唄を覚えて頭に詰め込んでいた。
「平凡」や「明星」の付録の「今月のヒット曲全集」なんてのをめくっていくのもシアワセなひと時だった。
唄を覚えるのは、学校の勉強より好きだった。ん~・・・比較にならないか!

ギターなら音痴がバレナイ・・・。
俺はギターに俺の音痴人生すり替え作戦を託した。
最初は6本の弦の仕組みがわからなかった。1本の弦をつま弾いているだけだった。さすがにこれはすぐに飽きた。
周りに教えてくれる人はいない。俺だけではドーニモならない。
そこで、毎週毎月買っていたマンガを我慢して、ギターの本(教則本)を買った。
誰でもすぐに弾けるギター・・・なんとかかんとか、とかそんな本。
チューニングを覚えて、ドレミファソ・・・と音階がつながった。
そして誰でもやるように、チューリップや日の丸などの童謡をメロディー弾きをした。
歌謡曲も弾いてった。
ト―ゼン、禁じられた遊びもだ。
どんどん世界が広がっていった。


漫画少年でもあったのだ

1964年という時代は、ベンチャーズサウンドに火が付き、「エレキ」や「テケテケ」なんてな言葉が生まれた頃だ。
掃除の時間に、みんなでほうきを持って「♪乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン」をやってると、きまって女子たちに顰蹙を浴びせられた。
モンキーダンスも踊ったなぁ。手足カクカクさせて・・・。
翌年になると、「勝ち抜きエレキ合戦」が始まり、ハルカ年上のイイとこのおぼっちゃん大学生たちがブラウン管の向こうでドヤ顔をしまくっていた。
暮れに加山雄三「エレキの若大将」が大ブレイクし、グループサウンズバンド(?)が、一つまた一つと誕生していった。
そして66年には、ビートルズが来日する。
俺は中2になっていた。


小6の時、少年サンデーに
掲載されてた

中はこんなカンジ ①

世界三大だゼ ②

なるほーだゼ ③

ためになるゼ ④

コードというものを覚えた。
俺の弾く安物ギターから革命的な和音が飛び出した。
かき鳴らすとすぐそこまで・・・、あこがれのグループに近づけた。
俺は感激&感動したネ。
朝も夜中も弾いていた。
「うるせー!」って怒られるから、工場で弾くのさ。
俺の持っていた教則本には、ハイコードだけが記載されていたので、そのトーリに進んでいった。いや、ローコードも記載されていたのかもしれないが、フレットを移動させればいいハイコードで押さえた方が手っ取り早く覚えられるので、ハイコード方式を選択したのかもしれない。
なので、よく言われる「ギターやったけど挫折」のFやらB♭やらのバレーコードでつまづいた。っていうのはなかった。逆にローコードを知った時、な~んて楽なんだ。なんて思ってモノさ。
歌も少しずつ解禁してった。
一人でギター弾きながら、加山雄三の唄を歌っていると俺もハワイとかアルプスにいるみたいだった。
麻薬みたいに俺の頭をシビレさせていった

中学2年の時、お年玉でエレキギターを買った。
浅草へ行って質流れの店で、モズライトもどきの白と黒のずしんと重いヤツ。
値段は3,400円だった。
アンプを買うお金は残ってなかった。アンプラグドだった。
シールドもストラップもなかった。
でも、夜中に一人静けさの中、弾きつづけているとしみじみ至福を感じた。
そしてその後は、お年玉やバイトで貯めた金でギターを買い替えていった。

それから・・・、唄とギターとバンドと・・・、坂道を上ったり下ったりの人生になったってワケで、俺の今いる場所も、すちゃらかしゃいにんぐも、M野家の引っ越しから始まったっていう、そもそもの話さ。


《営業2課 じゅんぼう》

2014年12月21日日曜日

さらば!六本木

さらば!六本木なんて題にして、現場が六本木だった時の最後の大穴について書いておこうと思ったんだけど。六本木の現場は6月に終わっていて、次の田端の現場も先月に終わって、今は御茶ノ水に行っている。だから、今さらって言われるだろうと思うけど、やっぱり書いておこう。

六本木の現場については前にも書いたんだけど、最後の最後に大きな穴が残った。
最初は池の底に敷いてあった白い細かい砂をだしていて、Kさんが下に掘り始めたあたりが深そうなので、変わってほしいと先生に云われて、掘り始めた。表面をみると結構広いのでSさんと一緒に掘り始めた。南北にベルトを作った西側だった。掘り始めると結構土が湿っていて、瓦も多くて掘りにくい。陶器片も結構あり、貝も出てきた。途中でピンホールを刺すとどこを刺しても20センチ位で止まるのでそんな物かと掘り進んでみるとなかなか底が出ない。再度ピンホールを刺してみると、また20センチ位で止まる。途中に埋まっている瓦や石にあたって止まるみたいだ。汗だくになりながら掘っても掘っても底に行きつかない。Sさんが「あっ!骨だ」と、言ったので見に行くと動物の腰のあたりの骨が出ていた。先生からそのままのしておいてと言われ、一応ビニールをかけてそのままにして掘り進む。陶器片、貧乏徳利、銀箔のついた木片、赤や青の派手な色の付いた木片、土で作ったお釈迦様の人形、小魚の骨、漆塗りの椀の漆の部分のみ、昔のお金、銅細工物、そして当然瓦などなどあっという間に点箱が一杯になってしまう。

しばらく掘ると壁がスロ―プになってしたの所の土が崩れて奥へ穴が開いた。その奥は抉れていてまだ相当ありそうだった。そっちには手は付けず全体にさげてゆく。ベルト反対側の北の部分でOさんが掘り始めていた。幅を若干縮めて掘って行き、底が出たという。どう見てもこちらの穴と繋がっているはずなのに、もう底が出ると言うのはおかしい。こちらは全然先が見えない。さっきの壁の奥もあるし。

わたしらが掘っていたところを保留して、先にOさんが掘ったところの南側の半分を下げる事になった。最初はわしとSさんAさんIさんTくんとでやった。雨予報で休みになったときも、なんとかやりたいと連絡をもらい掘った。結局雨が本降りになった中で、足元がずぶずぶになりながら掘った。そこを最初に掘ったところと高さを合わせて、骨の出たところを写真に撮ったりした。南側の残りも雨でゆるくなったため、Kさんが掘り始めた。と、同時に東側の床と思えるところをキレイに出していったら、幅1メートルちょっとの廊下のようなものだった、手前はまだ下に掘って行ける。南半分の残りも掘り終えたので、全体に下げて行く事になった。4人で横になって掘りながら下がって行く、土は前に置いてある箕に入れる、もしくは箕を運ぶ人がじょれんで集めて箕に入れて運ぶ、段々下がって行き箕に入れた土を捨てるのにも手間がかかるようになり、床を出した廊下のようなところに一人立ち、その向こうの室だった穴に捨てる、そこも一杯になってきたので、そこにも一人入り、廊下から貰った土を奥に投げる。

そんなこんなでわあわあ言いながら、掘り進んでいくと、最初の頃のOさんが床だと言って出したところが、西に続いていて階段状に下がって行った。さらに掘ると西から南にカーブを描いている。すると先生がまいろまいろいどかんなあと言う、なんですかと訊くと、かたつむりのカラのようにぐるぐると回りながら掘っていく井戸の事だという。東京には無くて地方に結構あるらしい。階段の行きついたところが最初に掘った場所で壁のしたが抉れているところだった。ひと坪位あって奥の天井も結構な高さがあった。そこをほぼ掘り終わるころに、TさんとAさんがその先はと言ってちょこちょこ掘りだした。先生はそこまでやらないでいいといったんだけど、Tさんは気になってしょうがないからと言って掘って行く。さらに階段が出てきてしまった。2~3段出してみたら、今度は東に向かっている。

工期も終わりに近づいていて、人も半分以下に減っていて、時間に余裕が無い為、重機で掘る事になった。ユンボがすぐ上まで入ってきて掘って行く。適当なところでわしが壁の土をユンボのバケットに入れ、Aさんは階段を出しながら土をバケットに入れる。翌日も同様な作業を繰り返したが、その日は強力な助っ人が来てくれた。人間ユンボといわれるYさんで、Yさんには底近くのユンボの届かないところを掘ってもらった。その後床も削ったら丁度ユンボのアームの届く手前20センチ位の所が床だった。わしも相変わらず壁の土を削って放り投げていた。Aさんは階段を出し終わり壁を上の方からキレイにしていった。階段の降り切ったところとYさんが出した床がほとんど同じ高さで、その先が階段2段分位深くなっていた。そこは水がでてどろどろになっていた。これで終わりにしましょうの声をきいて、ほっとした。翌日朝、前夜に降った雨で穴の底は水が随分溜まっていると誰かが言っていた。掘り残してあった地下室の一部を掘っていたら、水をポンプで抜いたら、、阿多掘ってもらいますからの声。ええっ?まだやるのか。しかし、ちょっと中途半端だった気がしてたんで、水が抜けるとすぐに行った。しかしどろどろのままだった。Aさんと二人で掘りだした。わしは水をバケツに入れて、ヌルヌルになって滑ってしまう階段にスポンジを敷いて滑らないようにしたところに、SさんT君などが並んでバケツに入った水と箕に入った泥を運んでもらった。水をかき出しながら掘っていると、ローム層の割れ目からきれいな水が流れ出ている。どろをほとんど取ったところで写真をとり、測量をして終了。結局最後の階段を降りたところは水場だった。大名屋敷の池のなかだったから、少なくとも池が出来るずっと前に使われていたんだろうと思う。終了と同時に埋め戻しが始まりその日の内にほとんどが土で埋まってしまった。1月半もかかって掘った穴があっという間に埋まってしまう。これがこの仕事の現実。


すちゃらか・たまらん・うーたろう








2014年12月14日日曜日

世界は馬鹿で出来てる エピソード5 空耳アワー




寒くなって来ましたね。お元気ですか?わたくしは、相変わらず膝が痛くカクカク歩いております。
世間ではもうクリスマスの雰囲気が出ていますね。no gods,no mastersのわたくしは、56年間
気にしていなかったのですが、joy to the world の歌詞が流れていてメガネからレンズが落ちました。

もろびとこぞりて⇒毛呂人小橇で(もろびとという人達が小さなソリで)と思ってました。
しゅはきませり⇒酒輪木増せり(しゅわきという木が増える)本当は、主は来ませり。ビックリだ。

と言う訳で、勝手に間違って憶えてた歌について、考えてみたいとおもいます。あ~暇だ。

まんず小学生定番のシリーズ。
「仰げば尊し」
わが師の恩⇒和菓子の音→意味が分かってからも和菓子で歌ってました。先生はえばってるから嫌い。

「赤い靴」
異人さんに連れられて⇒ひいじいさんに連れられて→わたしはこれ。人参さんキリンさんバージョンも有るらしい。
家にEPレコードが有りよく流れていたが、大人になって横浜で歌碑見て気が付いた。あれま。

「故郷」
これは当然、兎、美味しい鹿の山でしょう。なぜ鹿の山に美味しい兎が居るのか長い間悩んだ。

「チューリップ」
並んだ 並んだ 赤白黄色⇒悩んだ 悩んだ 赤白黄色→何故、難しい方に考える!

「大きな古時計」
今はもう動かない、お爺さんのからだ~   ひゃははたまりゃん。

「巨人の星」
これは日本中、思い込んだら⇒重いコンダラ→グランドならす重いローラー でしょう。
飛馬が毎日引っ張っていたような気がする。
ちなみに、星一徹は一度しか、ちゃぶ台をひっくり返してない。毎晩かと思ってたが。
小学生の時夕方家に帰ったら、ママが泣きながらひっくり返った、ちゃぶ台をかたずけてた。
嫌いなたくわんが出たらしくぶち切れた親父。大人もテレビを見て真似したかったらしい。

そういえば好きな物の例えに、「巨人、大鵬、卵焼き」てのがあったが、大人になって逆バージョンの嫌いな代表に
「江川、ピーマン、北の湖」てのを聞いて爆笑した。ピーマン可哀想。おっとだんだん頭がおかしくなって北酒場。




流行歌
「お富さん」
粋な黒塀見越しの松に⇒私の場合、いきなくろべいさんがお神輿に松の盆栽乗せてると思ってた。天才or馬鹿?

「木綿のハンカチィーフ」
いいえ星のダイヤモンドも海に眠る真珠も⇒いいえ欲しいのダイヤモンドも海に眠る真珠も→欲張りな女だと思ってた。

「なごり雪」
なごり雪も降る時を知り⇒なごり雪も、振る時おしり.........
21歳の時別れ話の場面、女子がこの歌をカセットテープで流しながらずっと文句言ってたが、わたくしおしりのこと
ばかり考えてたわい。

「ブルーライトヨコハマ」大好きな、いしだあゆみお姉様♡
あなたの好きな煙草の香りヨコハマ⇒あなたの好きな卵の香りヨコハマ→ゆで卵大好きなもんで。

洋楽......止めた。たくさん有りすぎるわい。また今度ね。

おまけ

のみ亭のホンキートークサロン⇒本気トークサロン→わたし変?
友達の音野さん⇒病院で呼ばれる「お殿様」「お殿様」 ひやっはー。

さて来週は、すちゃらかライブだ。面白いこと捜すべえ。あび太



憧れの生活ー乃木坂46-何度目かの青空か?







2014年12月11日木曜日

2014-11-24 すちゃらかしゃにんぐ あるぽらんライブレポート!その2

こんにちは。ともねです。
先日、11月24日、阿佐ヶ谷にある、あるぽらんでの、すちゃらかしゃいにんぐのライブレポート、
今回は、私、ドラムのともねが書かせていただきます!

とはいっても、ほんと、楽しすぎて、あっという間に終わってしまい、
ちゃんとしたレポートができるのか!?と不安ではありますが、
覚えている限りの全て、ここに書き残したいと思います。

私とすちゃらか(以下略させてくださいませ)とのこと、
少しだけ、、初めてお会いしたのは、、とそこからかい!と長くなりそうなので、
数回のライブにほぼ飛び入りの参加させていただいたり、レコーディングに参加させいただいたりと、
何度か誘っていただきましたが、今回は、初めて、ライブの最初から最後まで参加させていただくとのこと、
ライブのセットリストと譜面の分厚い資料が届いたときには、
もうドキドキ、ワクワク、汗汗でした。


あるぽらんHPより


さー、そんなこんなで、待ち遠しかったライブをこのときを迎え、思いあまって、
私は、入り時間を30分間違え、誰もいない、あるぽらんに到着。
初めて入る「あるぽらん」、未知の世界に足を踏み入れるような気分で、階段を登ったのでありました。

ステージには、想定通り、私と、うーちゃんしか乗り切らず、
やっちゃんはステージに座り、じゅんちゃんはほぼ客席へせり出し、類ちゃんも客席の机の真ん前と
立ち位置が決まり、リハーサルスタート!
色々音だしにも試行錯誤したけど、でも、みんなの何だか気迫があふれた演奏が
本番の盛り上がりを予想できそうだ!
といっているうちに、リハーサル終了。

本番前の作戦会議と、あるぽらんの向かいのお店へ。
作戦会議とは名ばかり(笑)、リハーサルの疲れを癒しながら、わいわい飲みが進んでいきました。
でも、注文したがそろうころには、なんと本番5分前!
ああ、これは食べてる場合じゃない!と、お店のお母さんが出来上がったら、
あるぽらんへ配達してくださることに!
さー、いざ、あるぽらん、本番へ向かいました!

満員御礼の客席で、もう早く始めてくれーという、お客様からのオーラが見えてる中、ステージへ!
色んな方から、「類ちゃーん」と黄色い声援がありつつ、演奏スタート!


                                          Photo by Kamochan

さー、ここから曲順にレポートを!言いたいところですが、
いやー、楽しすぎて、あっという間に時間が過ぎていってしまい、
もう夢の中にいるようで、、そのー、あのー、記憶が飛んでしまっているのです。
でも、、1曲目は、なんか覚えてる、じゅんちゃんが振り返ってくれて、笑顔、
やっちゃんと目が合えば、笑顔、ほんとみんな良ーく笑ってる、
そして、客席の皆さんの、あったかい目!
ほんと、愛されているバンドなんだなーって思いながら、時が過ぎていきました。

じゅんちゃんのなめらかーなMC、そして、語りかけるように唄う歌声、
そして、それを後ろからよしよしと支えるベース、うーちゃん、
リードギター、やっちゃんの弾くあったかいギターを聴かせたいと、メンバーみんなが想う、
そして、すちゃらかのアイドル、類ちゃん、でも、とても頼もしく太い音を出し、
彩りを付けてくれています。
そんなメンバーに囲まれて、私も後ろから、わいわい盛り上がっておりましたよ。



                                          Photo by kamochan

あっという間に前半終了!
休憩の最中、先ほどの向かいのお店から届いた焼きそばをつつきながら、
まだ終わってないけど、またやりたい、ツアーに行きたいなど、
この先の話をしてみたりして、後半へ。

前半も盛り上がり以上に、後半もどんどん、前半の緊張感も解けてきて、演奏は最高潮へ。
あっという間に時は過ぎ、じゅんちゃんから、最後の曲、と告げた言葉に思わず、
「早いなー」とつぶやいてしまった、そしたら、大量の汗を流してる、やっちゃんが
「ほんとだねー」って。
時が過ぎているのを忘れてしまうほど、ほんと楽しい時間が過ぎていた事を感じたときでした。
最後の曲「この店にある酒全部」でのほんと
最後の最後の「サルー(乾杯!)」のかけ声もぴったり合い、
アンコールもいただき、みんなが幸せの時間を過ごしている、
あったかい時間が終わりをついに告げたのでした。

のどがかれかれになりながら、ライブの熱気を残して、お店ではみんなで何度も乾杯をし、
記念撮影し、楽しい夜は更けていきました。

                                         Photo by Kamochan

やっちゃんは、そんな盛り上がったライブの後、お店を開けると(素晴らしい!)と帰り、
残りのメンバーで、居酒屋さんで、再度、サルー!
わいのわいの、ライブのこと思い出しながら、たーくさん笑い、素晴らしい夜も終わりを告げました。
とさ。

明るい打ち上げ   Photo by Junchan

すちゃらかしゃいにんぐ、あるぽらんライブ、本当にお疲れさまでした。
そして、いっぱいのありがとう!


すちゃら課  ともね