2015年4月26帰京集合写真

2015年4月26帰京集合写真
22015年4月25日~26日山梨県にツアーに行きました。26日東京へ帰る前にまだ居残った皆で集合写真 photo by Arisan

2012年11月30日金曜日

沢の鶴それも一級酒を二本ブロック塀に事件

     だれがこまどり ころしたの?
     わたし とすずめがいいました
     わたしのゆみやで
     わたしがころした
        『マザーグース/谷川俊太郎 訳』

これは私が人づてに聞いた話である。人づてではあるが、この話の信憑性はかなり高い。
いや、ほとんど事実である。
私と宇佐見和夫(その頃はウサミ、あるいはウサミ君と呼ばれていた。)は高校一年生からの
付き合いだった。
時代は昭和40年後半。
ところは東京葛飾亀有あたり。
私たちは二十歳で、金がなく、夢もなく、それでも酒は毎日のように呑んでいた。
その頃の私の周りでの酒事情を説明する。
当時は、現在のような焼酎全盛ブームではなく、焼酎の地位はまだまだ低かった。岡林信康の
山谷ブルース「あとは焼酎をあおるだけ~♪」がちょっと前(レコード発売は昭和43年)に作ら
れ、歌われてた頃である。焼酎といえば、梅酒を作るときに使うモノというイメージだった。
本格焼酎(焼酎乙類)として、ジワジワと広まっていくのは、もう4~5年あとだったように思う。
酎ハイも扱ってる店と扱ってない店があった。
またビールは缶の時代ではなく、瓶の時代だった。
そう、何でも瓶だった。ビールもコーラもジュースも醤油も。
空瓶を持って酒屋へ行くと、空瓶代として当たり前のように換金してくれた。
今ではデカい顔をしてる缶ビールなんてのは、旅行やお花見での歳時記的扱いであった。
隅のほうで小さくなってたものである。(ここらへん東海林さだお風で!)
もう一つ、今デカ(今はデカい)顔のワインとかカクテルとかのおしゃれ系は当然圏外であった。
猪口才なヤツラだった。
仲間どうしの家で呑むとなると瓶ビールを何本か呑んだ後は、安ウヰスキーのストレート。
または日本酒の一升瓶を冷で。というコースが定番であった。
ウヰスキーなら国産の安いヤツ。トリスとかレッドとかオーシャンとか。
日本酒はランク付けがあって、上から「特級酒」「一級酒」「二級酒」となっていた。
そういえば、合成酒というものもあったなぁ・・・。
で、我々の酒宴には二級酒がほとんどだった。
たまにお金が入ると「いざ!一級酒!」な~んてな日々だった。その頃の我々にとって
「一級酒」は裕福のスティタス。「特級酒」にいたっては一年に何度か、ハレの日に拝める
モノであった。
なんたって質より量であったから。
氷を用意するとか、熱燗で風情を楽しむとか・・・地酒の旨さにこだわる・・・なんてのは、
あまりなかったような気がする。呑んで酔っ払って騒ぐ! ってのが目的なもんで・・・。
あっ!、これは今でもか・・・。
「まったく、お前らのバカリョクは年季だけ一人前だゼ!」

その日、宇佐見和夫は仲間の家で4~5人と呑んでいた。
そして日本酒が切れたので、酒屋に買いに行くことになった。
宇佐見和夫がその役目を自分から、かって出た。
するとさらにもう一人、同行しようと言い出した男がいた。
温厚とか柔和とか寡黙とか、その頃の宇佐見和夫の人間性を表す時、人がよく口にする言葉
だった。
また不正とか無礼とかを一番に嫌うのも彼だった。
煙草の煙はゆるく、風の行手を教えた・・・。彼はいつも穏やかに遠くを見ていた。
そんな宇佐見和夫だったが、彼は酒屋へ同行しようとする男が嫌いであった。
その男は利己的で狡猾で、そして酒癖が悪かった。
今でいう空気の読めない奴。さらに無礼者という評が加わる。
そんな水と油。いや油とマッチの二人が酒屋にて買い求めたのは、日本酒二本。それも沢の鶴
の一級酒。
仲間の家と酒屋とはそれほど遠くない距離だった。
どのような経緯だったのか、なにがきっかけだったのか。
同行男の言いがかりに口論となった彼は、立ち止まるやいなや「お前はこれ持って帰れっ!」
と両手に一本ずつ持っていた沢の鶴一級酒をブロック塀に叩きつけたのである。
嗚呼、夜空にこだまする二発の銃声よ!!
その後、宇佐見和夫は一人で酒屋へ引き返し、沢の鶴一級酒二本を再度購入、顰蹙男には
仲間からの鉄槌が下されたのは言うまでもない。

噂というのはたちまちのうちに町を走る。
「ウサミを怒らすな!」
あるいは「ウサミをブロック塀に近づけるな!」
その後しばらくの間、我々のオキテとなった。
くり返す。
「ウサミを怒らすな!」

宇佐見和夫。59歳。
この冬、60歳を迎える。

                                                                     鮭 鮫 鱈 鯉


《開閉商事営業2課 じゅんぼう》

2 件のコメント:

  1. 酒醒めたら来い、というので来ました。
    うーちゃんといえば、必ず思い出すのは「納豆」です。
    杉並区に住んでいたとき、みんなが我が家に泊まって(やっちゃんは廊下で新聞をかけて寝ていた。アウトドア慣れてるねえ)朝御飯を民宿の朝食風に作った時のこと、うーちゃんが納豆のとき方指南をしてくれました。「必ず50回以上かき混ぜる」という秘伝を授けられました。いまだに納豆を、開けるとこの秘伝の技を思い出し、実行しております。福島の納豆専用陶器はもうないけど、低音で発せられたお言葉は耳にこびりついています。
    還暦おめでとうございます。缶ビールを割ることは難しいよね。缶礫になるかな。

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    1. うーたろう2012年12月4日 13:53

      ありがとうございます。ひたすらおーちさんの影を追いつつ歳を重ねてますが、追いつけませんなあ。納豆も50回掻き回すほどの堪えしょうもなくなり、20回位になってしまいました。しかし、初心に戻り50回頑張ります。

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